【第07回】“アンチ天才”のボトムズ流仕事術

「7割で腹をくくって、⽣き残れ!」

“アンチ天才”のボトムズ流仕事術
2007年10⽉10⽇(⽔) 渡辺由美⼦

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―― ⼈使いがうまい、任せるのが上⼿、と⾔われる⾼橋監督ですが、ご⾃⾝は「⾃分のしたいことしかやらないのが基本」とおっしゃる。⼈に評価されながら、⾃分のやりたいことがやれるというのは、どういうことなんでしょう。

高橋良輔,サンライズ,ボトムズ,矢立文庫
「現場監督」 ⾼橋良輔⽒(写真:⼤槻 純⼀、以下同)

⾼橋 たとえば今回の新作「ボトムズ」(ペールゼン・ファイルズ)の仕事の中でも、絵コンテを描きたい⼈がいたら、なるべく探してコンテを描いてもらう。シナリオを書きたい⼈がいれば、シナリオを書いてもらう。では、僕⾃⾝がやりたいことはやっていないかというと、監督業としてはATの3Dへのトライという⽅向でちゃんとやっている。

 やりたいと⾔った⼈にやりたい⽅向のことを頼むけれど、途中で作業が⼤変になってくると、その⼈がやりたくてやっている認識は、まあ、⼀時は薄らいでしまうかもしれない(笑)。でも、やらなきゃしょうがないんですよ。だって、仕事に⼭坂は付きものですし、⾕だって絶対ありますからね。ま、それが仕事というものだし、しかし絶対ゴールはあると、ゴールを迎えれば解放感も待っている、と。拝み倒してもやってもらう。

 僕が⼈使いがうまいというんじゃなくて、結局みんなでやることだから、やれる⼈にやってもらうということですね。ひとつ、僕が他の監督と違うとしたら、担当を分けて、⼈にどんどんお願いしてしまうことかな。

 作り⼿の中には、本来は全部⾃分でやりたいんだ、という⼈もいるわけです。コンテも描きたい、シナリオも書きたい、絵も描きたいんだけど、それじゃあ⻑期にわたるテレビシリーズはできないから、あきらめて⼈に振る、という。⾃分で全部できないと、イライラしちゃうんですね。

―― ⼤地丙太郎さんがインタビューで、「⾼橋さんは始める前に⼀⽣懸命苦労して⼈を集めて、その後で楽するタイプ」とお答えになっていたそうですが……。

⾼橋 ⼈を集める時にも⾃分は苦労はしていないですよ、それはプロデューサーがやっている。でもまあ、⼈が集まっちゃえばもう終わったようなもんですからね。

―― 終わり、ですか。⼈が集まった後は、監督は何をされるんですか?

あとの批判を引き受けるのが、私の仕事


⾼橋 もう何もしない。僕は「勇者王ガオガイガー」のプロデューサーを引き受けた時に、監督をヨネちゃん(⽶たにヨシトモ⽒)に決めたんだけど、第1話が上がってくる前に「俺の仕事の98%は終わった」と発⾔して、みんなから「えーっ︕」とひんしゅくを買った。……だけど(笑)。

 だってもう終わりでしょう、それは。監督や絵を描いてくれる⼈を決めれば、作品のある種の質は決まっちゃうところはあるから。

 プロデューサーはできたあとの批判を引き受ければ仕事は終わり。それはでも、ある程度どの仕事にでも⾔えることだと思うんですよ。

―― では、⼈を選ぶ時の嗅覚がポイントなのでしょうか。この⼈が最も適任だというのが、勘でお分かりになるとか。

⾼橋 えーとですね、分からないですよ。分からないけど、「70点ならいいか」というところがあるんですよね。

 まあ、僕は監督業が表看板ですけど、それから⾔うと100点じゃないと嫌だという監督がいるじゃないですか。「この⼈を呼んでくれ」「この⼈に、このイメージで、こういうところまで作ってほしい」と。そこまで要求しようとすると、たぶん僕のレベルだと成り⽴たないんです。要するに、⾃分が作りたいものに対して、そんな隅々まで思考が⾏き届かないんですよね。⾃分⾃⾝の能⼒が条件に追いつかない。

 僕が⼈にお任せする理由は2つあって。1つは、全部⾃分でやったら⼤変じゃないですか(笑)。

 もう1つは、全部⾃分でやったら⾃分の中にあるものしか出てこないじゃないですか。他の才能が⼊る⽅法論でやれば、⾃分の作品が膨らむということがある。

 「⾃分以外の⼒が⼊れば楽になる」「他の才能が⼊れば作品が膨らむ」。この2つは異質ではあるんだけど、僕にとっては同じレベルのことなんですよ。

 だから、申し訳ないんだけれども、あらゆることは70点でいいやというところで⾃分が出発していますんで、100点とか100%とか120点ということは望まないね。

―― それは他の⼈に対しても。

⾼橋 もうあらゆることに対して。⾃分の根性がそこまで持続しないんですよ(笑)。

―― 達観というか、そんなふうに考えられるのはすごいですね。どうして⾃分に対しても、お願いする他の⼈に対しても、「70%でいい」と思えるんでしょうか。

高橋良輔,サンライズ,ボトムズ,矢立文庫
「現場監督」 ⾼橋良輔⽒

⾼橋 ⼀番最初に⾍プロに⼊って「俺には才能がない」と思って、そこからぐるっと回って、「⾃分には引き出しがない」ということに気がついた時に、それでも演出の仕事ができると思ったのは、⼈に任せればいいんだということに気がついたからなんです。引き出しがないのなら、⼈の引き出しを利⽤させてもらう。 

 僕はアニメーションとか漫画に関しては、いまだに引き出しが少ないし、そっち⽅⾯を増やそうと思っていないんですよね。今さらやっても追いつかないから。最近のアニメーションで⾯⽩いのは何か、⼈に聞くし頼むし。おとといも企画室へ⾏って、⾯⽩いと⾔われた作品のDVDを借りてきてばーっと⾒ていました。

 いろんな⼈の引き出しを借りて、作品を作る。
 そうすると、⾔い⽅は悪いですけれど、マイナス⾯として「成果は⾃分1⼈のものにはならない」ということがある。それはしょうがないんです。成果を1⼈で全部得ようという考えは捨てると。

 ところが世の中というのは、5⼈の⼈間が参加したらば、成果は5等分かというと、そんなことはない。
 だから、多少ずるくもあるんですよね、考え⽅としては。いろいろな才能が参加するにもかかわらず、成果は結構、⾃分が⼀番もらっているかなというのもあるわけですから(笑)。だから、ずるいかなと思うところは、申し訳ないねみたいな顔をするということで、ごまかす(笑)。

―― いろんなところで調整をしつつ、あらゆることは100%ではなく70%でいいやと腹をくくる。監督が⻑年、第⼀線で指揮を執り続けられる理由が何となく分かった気がします。

あいまいさ、グレーゾーンをどれくらい抱えられるか


⾼橋 池波正太郎という作家が好きなんですけれど、エッセイなどであの⼈がよく⾔っているのが、最近の⽇本では⾮常にグレーゾーンが狭くなってきているということなんです。⽩か⿊か決めつけすぎる。⽂化というのはグレーにあるんだと。もっと⾔えば、⼈⽣はグレーにあるんだと。

 あいまいなところがゆとりなんだという、それが⽇本⼈になくなっていると。すごくよく分かりますね。

 ⼈間だって勢いがあるのはやっぱり若い⼈だけど、味が出てくるというのは、それはある程度、年を取ってから、グレーゾーンがしっかり⾒えてきてから、ですね。⽂化が⽣まれるということは、あいまいなことがどのくらい内包されるかということだから。⽂化というのはそういうものだと思うんです。

 ⿊⽩はっきり、論理でやっつける戦い⽅は、まあ、⾒栄えがするんですけど、⾃分⾃⾝で考え、⼈と話して、我慢して、考えて、あいまいなグレーゾーンを⾃分の中に⽤意しておくと、戦い⽅に幅が出ます。⼈との関係も広がり、それが⾃分にとってのセーフティネットになる。

―― ボトムズの主⼈公、キリコ・キュービィは、まさに「⾃分で考える」ことで、魅⼒的になって仲間が⽣まれていきましたね。しかも、彼は仲間に過度に頼らない。だからかえって、最悪の事態でも信じてもらえる。久しぶりに家で「ボトムズ」⾒直してみます。

⾼橋 新作もよろしくお願いします(笑)。

(次回に続く)


※本連載は、2007年に公開されたインタビューのリバイバル掲載になります。 


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