メゾン・ド・アームズ バシレイオン【第13回】

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前回のあらすじ
真世と静香は小学校の同級生だった。真世がひきこもるきっかけとなった悪夢のマラソン大会を思い出していた静香の前に、政府機関の男、大和田が現れる。彼の言葉は思いがけないものだった! ⇒ 第12回へ

「あたしが造られた理由はひとつ、この砦に露島真世を養い、鎧となって彼を護るため、ただそれだけだ。故にこの身体には、世に現存する、あるいは、彼が寿命を迎えるより前にTRL6(技術的運用準備レベル6)を達成し、実験運用される危惧を持った、あらゆる脅威に対処・対抗し得る、絶対なる防御策・攻撃手段が与えられた。加えて、思考ロジック・コアに対する敵対的侵食を防ぐため、ネットワークからも完全に隔離されている。よって、直接センシングできる以外にあたしが持つ情報は、すべてがあくまでも、膨大なトライ数のフィードバック学習をベースにシミュレーションを経て導き出した『仮定』である。しかし、その精度は驚異的を越えてもはや予知的とも言え、例えば、あたしが世に出現した際に政府・警察・自衛隊等が取り得るであろう初動についても、膨大な枝分かれパターンから取捨し導いた想定の許容範囲を超える実際は皆無であったが、それは、あたしが『考えた』ものであって、決してネットワークを通じ彼らの情報のやりとりを盗み取り『知った』ものではない。
 にもかかわらず、そんな中で発生した不測の事態がふたつ。まずは、真世の家政婦エステラがあたしの体内に侵入したのを、感知できなかった事。ただし、侵入とはいっても彼女の場合、露島の両親から絶大なる信頼を与えられていたという点で、最上級クラスのパーミッションが設定されていたとしても理解に難くはない。問題はもうひとつの方、露島があたしの体内でひきこもり続けるのをやめ、外の世界に出ようと決意するだろう事を、予測出来なかった件だ。
 よもやあり得ないとは思いつつ、念のため、プロセッサに不具合があるのかもと自己診断プログラムを走らせてみた。バス、キュービッド生成サーキット、超伝導素子冷却系、浮動小数点演算用コプロに至るまで調子は絶好調だ。至極当然の事だろう。
 なら——
 とすると——
 ひょっとしたら——
 実はあたしは、それを予測していたのかも知れない。
 何かがそれを認めさせようとしなかったのかも知れない。
 ああ……胸の奥でまた、何かがカチリと音を立てる……」

* * *

「……駄目……明かりは、消さないで……誰にも広げたことのない、私のいろんな部分を、あなたにだけは、全部しっかりと……見て欲しいから……」

 真世の目の前、彼が出て行くのを拒む様子で楽屋の出入り口を背に立っている空菜は、後ろ手にドアの鍵を掛けると、ステージを終えたばかりで湯気立つように汗ぐっしょりの衣装を、ベットリ張りついた肌から剥がすように脱ぎはじめた。見ただけで感触の判る柔らかいのに張りのある肌、小ぶりだが形のいい甘い果実があらわになり、そして、最後まではにかんでいた手をどけると、遂に彼女は、その大切な花園を、真世の前で赤裸々にした。恥ずかしさとドキドキと嬉しさが入り混じって潤んでいる眼が、じっと見つめる。

「お願いします、空菜のこと……好きなようにしてください……ディレクター……」

 エステラが作ったダイエットポテトチップスをつまみながら、VRゴーグルの先に拡がる『いろシチュ』の甘美な世界に埋没する時間は、やはり何ものにも代えがたい至福のいっときだった。
 エステラが戻ってきて3日になる。真世は彼女に、部屋から出て仕事を探しに行こうと心に決めた事を告白しなかった。いや、告げることが出来なかった。そんな決意など、あっという間に吹き飛び去ってしまったからだ。日々の面倒はすべてエステラがみてくれる。バシレイオンに護られているおかげで、怖れるものは何もない。彼女の建造費に、小国の国家予算にも匹敵する程の莫大な費用が掛かったにもかかわらず、それでも父母の残した蓄えは潤沢で、二人が持つ膨大な特許のお陰もあって、一生涯にわたって財布の心配もない。
 ただ、草永から正面切ってなされた宣告については、伝えずにはいられなかった。

「やっぱりボク、ひきこもりなんだよね」

 その時エステラは少しだけ驚いた顔をして、そして、その何倍もの優しさを表情にした。

「エステラは、マヨが誰からも傷つけられず健やかにいてくれて、とても嬉しいですよ」
「けど、こんな8畳半の狭い部屋に、ずっとこもってるなんて……」
「いけないのですか?」
「だって、みんなは、外の世界でたくさんの荒波に揉まれて、いっぱい傷ついてるのに」
「人は、傷つかなければならないのですか?」
「……え?」
「傷つかずにいられる者も、傷ついている人達がいたら、一緒に傷つかなければならないのですか?」
「でも……」真世は言葉を探した。「試練を乗り越えないと、ちゃんとした大人になれないんじゃ――」
「大人とはなんですか?」エステラは、優しく笑みを浮かべたまま、「よわいを重ねる事をいうなら、マヨは、ひきこもりにカテゴライズされる人々の平均の年齢を知っていますか?」
「え? えっと……中学から高校、大学生なんかがほとんどだろうし……18歳、くらい?」
「30歳半ばです」

 真世は目をパチと見開いた。

「しかも、人数的に最も多いのは、40も大きく過ぎた人々、『大人』なのですよ」
「で、でも」真世は、まるで張り合うかのように身を前のめりにした。「中学からずっと、もう10年も、こんな世界で……」
「ひきこもりの平均期間は20年をずっと超えていると聞きますヨ」
「!」
「くらべれば、マヨはまだまだゼンゼンひきこもってなんかいませんネ、むしろ諸先輩のみなさんに怒られちゃいます、その程度でひきこもりを気取るなって」
「かもしれないけど、それでも、なんだか……エステラに面倒見て貰って、バシレイオンに護ってもらって……」
「私たちと一緒は、イヤですか?」
「そんなこと……!」
「私たちがマヨと一緒にいるのは、決してマヨのせいではありません」
「じゃなくて、ボクみたいに護って貰いたくても護って貰えない人達がいっぱいいるのに――」
「すべての人々がマヨの様になれないのは、言ってみれば、マヨが法王や大統領になれないのと同じ事ではありませんか?」

 言われてみれば確かにそうかもしれない。それにボクだって、たくさん傷つき悩みを抱えているからこそ、いま、こうして、ここにいるんじゃないか……。まるで視界を濁らせていた鱗が剥がれたかの様に、真世は、丸く見開いた目をエステラに向けた。エステラは、ニコリと受けとめた。

「立派になりましたね」
「え?」
「いまの自分を見つめる事が出来ただけで、凄いことだと思いますよ、エステラは」

 彼女は真世に歩み寄ると、

「誰がなんと言おうと――」

 彼の頭を両の腕でやさしく包み、柔らかな胸に抱き込んだ。

「マヨはそのままで、マヨなのです」

 ほっそりスタイルのよい身体に、はち切れんばかりの豊かな胸が実っている。真世は懐かしさに似た安らぎの中に、言葉を返す代わりに身体を預け、味わうように頬を強く押し当てた。

 

 真世は、弾力の強いマシュマロの感触を思い返しながら、エステラの言葉を反芻した。この部屋に居続ける事こそがボクのアイデンティティ。ならば、VRゴーグルを捨て街へ出るという事は、自分を捨ててしまうのと同じだ。ひょっするとそれこそが逃げなのではないだろうか。それではいけない。ボクはボクであるために絶えず努力を続けなければ、ボクである為に戦わねば。真世は決意を胸に32時間20分ぶっ通しの貫徹プレイでとうとう今朝、『いろシチュ』屈指の難関ステージ『空菜編』を遂にクリアした。

「自分を貫き通すのって、大変だよね」

 ベッドの上であぐらをかいている真世は、装着していたVRヘッドセットを外すと、ショボと小さくなった眼を、握った両の手の甲で押し込むようにゆっくりと揉んだ。固まった上半身を左右に捻ってボキボキとほぐしながら、バシレイオンAIが悪態を返して来るのに備える。
 無言の間。

「……バシレイオン?」
「……え? あ、うん……そうだね……」
「……?」
「……ごめん、もう一度言って」
「……どうかしたの?」
「どうもしないし」バシレイオンAIがいつもの調子を戻す。「っていうか聞こえなかった? 『もう一度言って』って言ってんだけど」

 いや、普段より苛立たしさが増している? 真世は、触らぬ神になんとやらとばかりに、波風立て逆なでしないよう素直に従った。

「『自分を貫き通すのって、大変だよね』」
「って、ただ、エロゲーやってるだけじゃん」
「エロじゃなくてセクシーシチュエーション。それにこれは、自分を見失わないための試練だから」
「バーチャルの世界なのをいいことに、未成年のおっぱい揉んで吸って、随分と嬉しい試練じゃん」
「未成年じゃないから!」

 慌てて訴えつつ、真世は、さっきの彼女の様子は何だったんだろうとひっかかりをおぼえながら、皿に残っていたポテトチップスの欠片を口の中に流し込むと、そのままごろり横になった。
 見れば部屋の真ん中に、何かを保護する様子で、底を抜いた丈夫そうな箱が置いてある。その下にはあの赤いボタンがあった。誤って触らないようにと真世が覆い被せたのだが、触れてしまう危険度が薄らいだのと同時に興味も遠のき、今ではそれが何なのか、押すとどうなるのか、問うこともなくなっていた。
 時計を見上げれば、ちょうどお昼時だった。空腹と眠気とが諍いを始める。

「お昼ごはん、麺的なのがいいなってエステラに言っといてよ。あ、パスタとか和とかじゃなくて、中華ね」
「そう言えば……」ふと、バシレイオンAIは思い出した「トンカツ、全然メニューに出てこないんだけど」
「ん? ……だっけ?」

 ベッドの上で、横になった身を丸くし屈めながら、真世は、あくびだか返事だかよくわからない風に返す。

「やっぱ揚げてから時間がたったトンカツなんて、おいしくないからじゃない?」
「でも、卵でとじて煮るとか焼くとか、ちょっと珍しいところだとスープにしたりとか、峠を越えたトンカツをおいしく食べる応用料理って結構あるし」
「もう、エステラ帰ってきたんだからさ……どうでも……いいよ……」

 あくびを繰り返す度に、その顔が睡魔に呑まれ、だらしなく弛緩していく。バシレイオンAIは「まったく」とひとつ息をつこうとした、その時、

「……ありがとう、護ってくれて……」
「!」
「そうだね……ずっとこうして……いられるといいね……」

 言葉尻は寝息に消え入っていた。

 

 けっきょく彼は、ちゃんと戻ってきた、こうしてあたしの中に――無防備な真世の寝顔をモニタリングしつつ、バシレイオンAIは、それでもプロセッサの中にイガイガした虫が入り込んでいるような、飲み込みきれない異物を感じていた。
 あの時、真世があたしの体内でひきこもり続けるのをやめ、外の世界に出ようと決意するだろう事を予測出来なかったのは事実だ。そしてそれは、彼を守り抜くという絶対の使命を帯びた自分に、致命的な不具合があることを意味する。いわんや、もしあたしがそれを予測していたにも関わらず、何かがそれを認めさせようとしなかったのなら、事態はいっそう深刻だ。

「正さなきゃ」

 不具合のエラー因子をただちに排除し、状態を正常へと戻したのち、一刻も早く『通常運転』に戻る必要がある。そう、バシレイオンAIにとって現状はまさに、

「異常事態……」

 ところがどれだけ自己診断しても、バシレイオンAIは、自身の『内側』にその因子を見つけ出すことが出来なかった。となると――
 彼女は焦っていた、自分が不完全である事が許せなかった、そして遂に、禁断の特例を発動させた。Xバンドアンテナを、静止軌道上に浮かぶ秘匿化の強固な防衛省通信衛星へと向け、それを介してDII2(新防衛情報通信基盤)回線に侵入、防衛医大の部内系閉鎖情報網ターミナルPCに入り込むと、それを踏み台として外部開放系へとアクセスし――スタンドアローンを鉄則としていたバシレイオンAIは、ひとつ大きく深呼吸すると、果てしなく広大で混沌たるネットの樹海の中にいま、意を決しダイブした。

 鬱蒼たる情報の“森”は圧倒される程に煩雑で、様々なプロトコルのハイウェイが無秩序に生い茂るビットの樹々を縫い結び、そんな中にバシレイオンは、真世の翻意と自分の不具合とを結びつけるファクターを探した。『帝都の巨人』『マル巨』『謎の巨大ロボット』……

「『弩級』ロボットだっつーの」

 バシレイオンを示す様々な記号が、トピックスとして公私交え激しく飛びかっているのに比べ、『露島真世』を示す記号は皆無に等しかった(露島研究所や露島博士夫妻を示す記号は、バシレイオンに負けず劣らず膨大だったが)。ようやく見つけたそれは『中学時代マラソン大会の笑撃』『歩くより遅く走る奇跡の肥満児』『ゲロゴールデブ』等々。

「こりゃ、露島が心折れるのもしょうがないかも」

 DIH(防衛省情報本部)から公安調査庁に内閣安全保障室のコミント(通信傍受情報)、果てはSNSの過去ログに至るまで、あらゆるアーカイヴを覗き込んだが結局、彼女の正常化に役立ちそうなインテリジェンスは皆目見つからなかった。
 異物に侵入されるかもしれない危険を顧みずという決断への覚悟が大きかったぶん、揺り返しの落胆はいっそう深かった。外部に対しての防護壁は強固だったが、それでも絶対ではない。バシレイオンAIは、こんなタブーを犯してしまったのもまた、自身の不具合がそうさせたのかと不安になりつつ「そろそろ“森”から上がった方がいいかも」と、自身の足跡を消そうとした。
 とある少女と真世とのムービーファイルを見つけたのはその時だった。

「あの子……!」

 フレッシュマートを攻撃しようとする真世と自分を、体を張って止めようとした、彼女だ。どうやら真世がトンカツソースを買いに行ったあの日の、とある公園の防犯画像と音声らしい。
 二人がベンチに並び座っている、その一部始終を、バシレイオンAIは見つめた。

「そっか……あの子が、露島を……」

 データを見終えたあと、バシレイオンAIは、これ以上は危険だと躊躇いながらも抑えきれず、ネットの中に散らばる少女のデータを探り巡った。それらはどれもが、彼女の人生の苦難と悲哀を物語る1頁1頁だった。
 その最後の頁、最も新しい映像・音声データは、何やら恐ろしく厳重に秘匿化されていた。それでも量子暗号すら読み解くバシレイオンAIに、こじ開けられないコードはない。彼女は幾重にも仕込まれた鍵を巧みにほどくと、潜んでいたデータをひろげ、覗き込み、そしてハッと息を飲み込んだ。
 薄暗く長い廊下を、少女は、短く髪を刈り込んだ大柄な体躯の男の後ろに続き、連れられる様にどこかしらへと向かっていた。
 バシレイオンは固唾を呑んだ。
 ぬるり冷たい風が微かに吹き込んだのに気づかなかった。


著者:ジョージ クープマン
キャライラスト:中村嘉宏
メカイラスト:鈴木雅久


次回4月13日(木)更新予定


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