【第06回】「GEAR戦士電童」20周年記念連載
「スーパーミニプラ」シリーズも大好評!! ますます盛り上がる『GEAR戦士電童』20周年企画。
前回に引き続き、電童のコンセプトデザインを手掛けた野中剛さんと、メカデザインを手掛けたアストレイズの阿久津潤一さん、新谷学さんにお話を聞いていきたいと思います。
◆第6回
――その他のデザインでの思い出などはありますか?
阿久津 自分は、ベガのバイク・ワルキューレが好きだったんですよ。
新谷 絵コンテをもらって見ていたら、そこにバイクが出てきていたんです。それを見た阿久津が発注も受けてないのに勝手に描いたんですよね。でも、せっかく描いたからと、サンライズさんに持っていったら、じゃあこのまま使おうという話になりました。

阿久津 そうだったんだ。あのバイクとラゴウが僕の青春だったかな(笑)。あのバイクが自爆した時は、終わったと思いましたから。予備がいっぱいあって、まだまだ出てくれることがわかってホッとしましたけど。ラゴウが死んだ時も悲しかったな。
新谷 ラゴウは、最初からそういうキャラとして描いているじゃないですか(笑)。でも、ラゴウはすごい筆が走ってましたね。
阿久津 紙みたいに薄いし、隙間のいっぱいあるデザインだったので、描きにくんじゃないかなと思っていたんですが、アニメーターさんがよく動かしてくれました。

新谷 電童のデザンはまとめ役に徹していましたけど、このラゴウとかのデザインラインは阿久津らしさが出ていたんじゃないでしょうか。それを気に入ってくれた古里さんが『舞-HiME』のデザインの時に呼んでくれましたから。
野中 確かに。チャイルドのデザインラインだね。
新谷 商品になるデザインが決まって、発進シーンなどに関わるデザインに入りましたが、福田監督から、射出用コクーンを付けて飛ばしたいから、何か考えてほしいと言われましたのを覚えてますね。
野中 実は、あのコクーンが一番出番の多い電童の装備ですよね(笑)。
――電童のアクションについてはいかがですか?
野中 やっぱりタービンを見せて欲しいので、当初は勝手にボトムズみたいな無骨なメカアクションをイメージしてましたね。アームパンチで薬莢が飛んでいくところとか、パイルバンカーをぶっさ刺すところとか、装甲がひしゃげたりとか…。でも、福田監督にそれを言ったら、とても描き切れないとあっさり言われて(苦笑)。エフェクトで見せる方向になりましたね。
データウェポンを手に入れてからは、ビーム攻撃っぽいものが増えていくので、悩ましい思いがないかと言われれば嘘になりますが、1話で寝たまま横滑りで、敵の攻撃を回避したのを観てうれしかった記憶があります。やっぱり、『サイバーフォーミュラ』のイメージがあったので、福田監督の演出は非常に楽しみにしていました。
――今回スーパーミニプラが発売されますが、アストレイズさんも開発に関わっているとか
新谷 そうです。でも、アストレイズでやってはいるんですが、阿久津は全然絡んでないんです。デザインした本人がやると、もっとこうしたかったという所が多すぎて、当時ファンだったお客さんが求めているものと離れてしまうこともあるので…。
今回は、20周年の今だからできる商品は何だろうと考えて、当時阿久津ができなかったこと、井上さんがやろうとしてできなかったこと、それらをすべてやりつくそうという気持ちでやっています。
阿久津 やっぱり自分が今描いたら、デザインを変えちゃいそうな気がしますね(苦笑)。
新谷 20周年なりの思い出補正も含めてですが、アニメの設定の雰囲気に、阿久津の当時の設定画のディテールを落とし込んで、最大公約数の電童を作ろうという感じですね。
データウェポンは、当時視聴者だったウチの若手が作っています。当時のユーザーだったので、みんな自分がやりたいと手を挙げてくれました。この作品を見ていた世代の人たちが、もうクリエイションする側になっているので、そのテンションも借りられたらなという思いですね。
当時叶わなかったサポートメカへの変形も入れてますので、なぜデータウェポンにタイヤとかキャタピラのディテールが入っていたのかがわかるんじゃないでしょうか。

野中 電童のスーパーミニプラは、本当に良く出来ていて、非の打ちどころのないシリーズだと思います。
実は1月25日売りのホビージャパン3月号で作例を担当させてもらっているので、既に触らせてもらっています。作例はまだ作業中ですが、楽しみにしていただければと思います。
以前、趣味で「PG 1/60 ガンダムアストレイ」をベースにして電童を作ったことがあるのですが、自分の中でタービンの回らない電童はありえないので、モーターを組み込んで回転するようにしています。
――最後に電童のファンに向けて一言お願いします。
野中 こうして時間がたって、昔手掛けたキャラクターが再認識されることは、嬉しくもあり、不思議な気もします。
ちょっとネガティブな発言もあったかも知れないですが、そこから当時の空気感を感じ取ってもらえれば幸いです。仕事ですので、立場の違いからぶつかることもままありますけど、それを乗り越えた先に生まれるものもあると思って作っていましたから。
電童は3クールで終わりましたけど、この後、小学生向けホビーアニメとしては『クラッシュギア』をサンライズさんと一緒に作ることが出来ましたし、ロボット物としても『出撃!マシンロボレスキュー』という作品につなげることができましたので、よかったかなと思っています。
阿久津 本当にあまり覚えてなくてすみません。電童は、まとめ役に徹していたという感じですかね。野中さんもそうですが、アニメのデザインをされた重田智さんもまた絵のうまい方でしたし、自分か描かなくてもいいんじゃないかくらいに思っていました(笑)。
デザイナーということでやっていますが、いろいろな方からアイデアをいただいております。デザイナーひとりの力でできていることは限られていますからね。
でも、20年経った今でも覚えていてくださる方がいて、本当にうれしい限りです。ありがとうございます。
新谷 20年経って思ったのは、想像以上にお客さんが温かったってことですね。当時は、商品としてはやりきれないことが多くて、忸怩たる思いもありました。子供向けの手書きのロボットアニメの最後みたいな位置づけにもなりましたが、そこにはちゃんとお客さんがいてくれました。そして今回、スーパーミニプラをやって、その当時見えなかったお客さんが見えたこともよかったことですね。
――ありがとうございました。
(つづく)