機動戦士ガンダム Twilight AXIS【第10回】
第五章「追憶」2
こうして、使い捨ての試験体でしかなかったはずの一人の少女は、機関の別セクションにあるMS開発施設に迎え入れられた。
アルレット・アルマージュ。
それが、彼女につけられた新しい名だった。
彼女はそこで、技術者としてニュータイプ専用機動兵器の開発に携わることになったのだ。
「ニュータイプとは、必ずしも戦闘の得意なパイロットを指す言葉ではない」
シャアに言われたその言葉を、アルレットは今も昨日のことのように覚えている。
「これからの世界には、君のような存在も必要とされるはずだ――」
その言葉に応えるように、アルレットはめきめきとその頭角を現していった。
力学・構造学の分野で非凡な才能を発揮した彼女が、やがて開発プロジェクトの一端を任されるようになるまでは、さほど時間はかからなかった。
そもそもフラナガン機関は、学会から異端視されたはぐれ者の集まりだ。
周囲に彼女の出自をとやかく言う者はなかった。
成果を挙げれば、それに見合った賞賛をもらえる。
そんな当たり前のことが、アルレットには何よりも驚きであり、喜びだった。
彼女はここで初めて、試験体ではない一人の人間となったのだ。
元は機械のように感情表現の薄かった彼女だが、次第に笑ったり怒ったり、時には冗談を言ったりといった、年頃の少女らしい振る舞いをするようになった。
自分を見いだしそんな生き方を教えてくれたシャアに、やがてアルレットが仄かな憧れを抱くようになるのは当然のことだった。
だが、彼女がその思いを表に出すことは決してなかった。
シャア・アズナブルという男は、彼女にとって手の届かない存在だった。
シャアは常に仮面やサングラスで素顔を隠しており、直属の部下や上司の前でさえそれを外したことはないという。
表向きは若い頃に受けた顔の傷痕を隠すためということだったが、素顔を見られたくない何かがあるのではという噂も根強く広まっていた。
彼が周囲の誰にも心を開いていないということは、まだ子供だった当時のアルレットにも理解できた。
ついこの間まで、彼女自身もそうだったからだ。
アルレットとシャアとの間には、目には見えない高く厚い壁があった。
しかし、ただ一人例外がいた。
その壁を易々と越え、シャアの隣に立つ者が一人だけいたのだ。
それが、ララァ・スンだった。
アルレットより前にシャアが見いだした、生まれついてのニュータイプ。
彼女の乗るニュータイプ専用MAの開発チームに、アルレットも配属されたのだ。
常に超然とした態度で、他の技術者達からは煙たがられていたララァだったが、どういうわけかアルレットにはよく話しかけてくれた。
彼女に自分と似たものを感じ取っていたのかもしれない。
会話の中身は、施設の外で鳥を見たとか、星が綺麗だったとか、
他愛のないものばかりではあったが、アルレットはそれをずっと楽しみにしていた。
彼女もまた、ララァにシンパシーめいたものを感じていたのだろう。
もし自分に姉というものがいたら、あの人のようだったかもしれない……。
いつしか、アルレットはそんな風に考えるようになっていた。
シャア、そしてララァ。
二人の力になりたい。
自分に人間らしい感情をくれた二人に恩返ししたい。
それが、当時のアルレットの偽らざる本心だった。
だが、それからしばらくして、ララァは戦場でその命を散らせた。
敵の攻撃からシャアをかばったとのことだった。
アルレットはその場に居合わせることはできなかった。
帰ってきたシャアは何も語らなかった。
だが、彼を囲む見えない壁は、ますます高く厚くなったように感じられた。
それから程なくして終戦協定が締結され、一年戦争は終わりを告げた。
シャアは表舞台からその姿を消した。
やがて彼は名を変え、姿を変え、様々な組織を渡り歩いた。
アルレットは彼についていく道を選んだ。
あるいは、そのまま彼の元を離れ、普通の生活を送ることもできたはずだった。
だが、アルレットにとって「普通の生活」などというものは想像の埒外でしかなかった。
彼女の生きる場所は、シャアの下にしかなかったのだ。
たとえ見えない壁に阻まれ続けていたとしても。
長い月日が流れた。
初めて出会ったあの日、まだ少年の面影を残していたシャアも、やがて青年を過ぎ、その相貌に小さな皺を刻むようになっていった。
だが、それでもアルレットは変わらなかった。
幼い頃、試験体として施された様々な実験は、彼女の身体の成長を著しく阻害してしまっていた。
それはまるで、自分の身体があの頃に帰りたいと願っているようだと――自分が大人になるのを拒んでいるようだと、アルレットには感じられた。
そして。
結局、アルレットが壁を越えることはなかった――。
× × ×
「おい、何をしている?」
不意に聞こえたメーメットの焦った声が、アルレットを現実に引き戻した。
さっきまで項垂れていた敵兵のリーダーらしき男が、メーメットを突き飛ばして走り出すのが見えた。
腕に何かを抱えている。
男の目指す先は、ラボの奥。
そこにあるのは……メインサーバールーム!
「アルレットさん! 伏せて!」
駆け寄ってきたメーメットが彼女を押し倒した瞬間、閃光が視界を覆った。
× × ×
「ご無事ですか? アルレットさん」
「は……はい」
メーメットの腕の下で、アルレットがくぐもった声を上げる。
おそるおそる顔を上げると、目の前には凄惨な光景が広がっていた。
ラボの一角が、すっかり吹き飛んでしまっていた。
周囲の端末や実験装置も、爆発の余波で破壊されてしまっている。
もし、あのあたりに何か残っていたとしても、これではほとんど原型を留めてはいないだろう。
「やられました。まさか、自爆とは……」
背後でメーメットが口惜しげに呟く。
絶望的な気分で周囲を見回していると、視界の端に大きな黒ずんだ物体が横たわっているのがチラッと見え、アルレットは思わず目を伏せた。
「見ない方がいい」
アルレットをしゃがませて、メーメットは瓦礫の陰から立ち上がる。
「ひどいな……これは」
あらためて周囲の惨状に嘆息していると、
「隊長!」
物陰から、マスティマの部下達が次々と顔を覗かせた。
どうやら全員、避難に成功していたようだ。
「申し訳ありません、拘束していた連中に逃げられました。追いますか?」
「いや、そんな時間はない。それより、そっちは大丈夫か?」
「え、ええ……我々は無事です」
「お前達のことじゃない。サーバーの方だ」
部下達を押しのけ、メーメットはメインサーバールームへと駆け寄っていった。
「くっ……」
メーメットの端正な顔が苦渋に歪む。
至近距離での爆発を受けたサーバー本体は大きくひしゃげ、そこかしこから火花を散らしている。
これでは中のデータも大きく損傷したか、最悪、すべてクラッシュしている可能性もある。
「やってくれたな」
「死んでもお宝は渡さない、か。育ちの悪い連中だ」
部下達の沈んだ声を背に、メーメットはどうするのが最善かを考えていた。
どうする?
この状態のメインサーバーからデータを引き出すことは、はたして可能なのか――?
「アルレットさ……」
振り返って声を掛けようとしたメーメットの背後で、アルレットはすでに行動を開始していた。
周囲を確認し、爆発の被害の少ない端末を探す。
ラボの隅の方に、青白いLEDの光が見えた。
駆け寄って端末をチェックする。
電源は生きている。
「だったら……何とかなるかもしれない」
スイッチを押し込むとすぐにモニターが光を放ち、OSが立ち上がる。
素早くキーボードに指を走らせる。
「よし……回線は生きてる」
振り返り、後を追ってきていたメーメットに告げる。
「何とかメインサーバーへのアクセスは可能です。もし無事なデータが残っていれば、サルベージできるかも……」
「お願いします!」
アルレットが説明を終えるより早く、メーメットが身を乗り出すようにして叫んだ。
「わかりました」
アルレットは再びキーボードに指を走らせる。
かつて毎日のように触っていたキーボードの懐かしいタッチに、思わず感慨に耽りそうになるのを押さえ、アルレットはメインサーバーへアクセスするコマンドを入力する。
黙々と端末を操作するアルレットを、メーメットは固唾を呑んで見つめていた。
「これが駄目なら、もう打つ手はない――」
モニター上にいくつものウインドウが開いては消え、そのたびに端末のキーボードを走るアルレットの指が小さく震える。
次々と表示される無数のエラー表示が、メーメットの焦りを募らせる。
「頼む……無事でいてくれ。何の収穫もないまま、手ぶらで帰るわけにはいかない……」
やがて打鍵音が途絶え、開いたウインドウに複雑な数式を含む膨大な文字列が表示される。
「どうです? データは生きていますか?」
緊張してモニターを覗き込むメーメットに、アルレットが小さく頷く。
メーメット以下、マスティマのメンバー達からおおっと歓声が上がった。
興奮気味にメーメットがアルレットに促す。
「十全です。そのまま作業をお願いできますか?」
「はい」
答えながら、アルレットはノーマルスーツから取り出したPDA(携帯情報端末)を端末に接続する。
素早くコマンドを入力すると、端末からPDAへデータの移動が開始された。
転送中を表すインジケーターがチカチカと点滅を始める。
「ありがとうございます。アルレットさん。やはり、貴方に来てもらって正解だった――」
そう言って深く頭を下げるメーメットに、アルレットが言葉を繋ぐ。
「あの……メーメットさん」
「はい?」
「これ以外にも、まだ資料が残されているかもしれません」
「そうなのですか?」
「……はい。デジタルデータだけでなく、出力した資料もあるはずです。確か――赤い表紙のバインダーだったかと。さっきの爆発に巻き込まれてしまったかもしれませんが、もし残っていたなら……」
「赤い表紙ですね。わかりました」
メーメットが部下達に振り返る。
「聞いたな? もうあまり時間はない。時間の許す限り捜すぞ」
頷き、ラボの各所に散っていく兵士達を背に、アルレットの指は再びキーボードの上を踊り始める。
「よろしくお願いします」
一礼し、メーメットは部下達の元に去っていった。
「…………」
端末の前にひとり残されたアルレットは、去っていくメーメットの背中にこっそりと頭を下げた。
「ごめんなさい……メーメットさん」
彼女は嘘をついた。
本当は、赤いバインダーなどこのラボのどこを捜しても存在しない。
彼らの目をそらす時間が必要だったのだ。
振り返るアルレット。
背後の壁は耐圧ガラス製の窓になっており、外の宇宙空間で行われる試作MSの運用試験を直接視認することができるようになっていた。
窓の向こうはただ暗い闇だけが広がっており、背後の薄明かりに照らされたアルレットの相貌が映り込んでいる。
じっと窓の外の宇宙へと目をこらす。
第二次ネオ・ジオン戦争終結のあの日。
ネオ・ジオンの旗艦レウルーラから、アルレットの整備したサザビーに搭乗し、シャアは出撃していった。
アムロ・レイ。かつてララァを殺した因縁の相手との戦いに向かい、そのまま消息不明となった。
出撃の間際、「ご武運を」などと当たり障りのないことしか言えなかった自分を思い出すたび、アルレットは唇を噛む。
あの時、シャアはわずかに微笑んだように見えた。
彼が何を思って、因縁の敵との戦いに臨んだのか。
今となっては確かめる術はない。
だが、それでも――
もし、何かがつかめるのなら。
あの日の彼に少しでも近づけるのなら。
アムロ・レイの駆るνガンダムとの戦闘で大破したサザビーの残骸は、今もアクシズの地表に放置されたままのはず。
その座標は、このラボからそう遠くはないことも把握している。
もう少しで手の届く距離に、それはあるのだ――。
× × ×
目の前のモニターには、データの転送が完了したというメッセージが表示されている。
アルレットは端末からPDAを引き抜き、背後を振り返った。
これで、彼らマスティマの作戦は達成されたことになる。
だが、アルレットがここへ来た目的はそれではない。
メーメット達はまだラボの探索を続けていた。
彼らがここに留まれる制限時間は、もう残り⒖分を切っている。
時間の許す限り、ギリギリまで探索を続けるつもりだろう。
こちらに目を向けている者はいない。
倒壊した資材によって、この端末の周辺は彼らからは視認しにくい位置にあるのだ。
「………………」
PDAをコンソール上の目立つ場所にそっと置き、アルレットは静かに端末の前を離れた。
そのまま、資材の影に身を隠すようにしてゆっくり移動する。
目指す先には、先刻、彼女達が入ってきた、アクシズ外壁へと続くハッチがあった。
そっと背後を伺う。
メーメット達はまだこちらに気づいた様子はない。
「待ってて、大佐。今行くね――」
アルレットはハッチを抜け、再び漆黒の宇宙空間へと飛び出していった――。
――第六章へ続く――
ストーリー構成・挿絵:Ark Performance
著者:中村浩二郎
次回8月3日頃更新予定
©創通・サンライズ
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