覇界王~ガオガイガー対ベターマン~【第13回】


number.02 鍵-RAKAN- 西暦二〇一六年(3)

「うわっはー、すごい豪華!」
「ほんとだねぇ、どれからいただこうかなぁ」

 天海護とその隣に立つ初野華は目を輝かせた。ここはオービット亭、談話室に彩火乃紀と鷺の宮・ポーヴル・カムイが、スーパーバイザー執務室に楊龍里と戒道幾巳がこもっていた頃と同時刻である。
 ふたりが目を輝かせたのは、テーブルの上に様々なお菓子やデザート、ケーキ、飲み物が並んでいたからだ。

「さあさあ、<食材合成くん26皿>が直って、もう問題なくなったからね。お詫びのティーパーティ、ちょっと豪華にしすぎちゃったかね。まあ楽しんでいっておくれ!」

 菊帆エイル隊員の言う通り、それは豪華にすぎるものだった。とても宇宙基地という閉鎖空間で供されるものとは思えない。

「まあ、俺の発明あったればこそだがな。ここは開発者として、仕上がりを確認させてもらおうか、ガハハ!」

 アーチン参謀にメインオーダールームを任せてきた阿嘉松長官は、真っ先にケーキを山盛りにした皿を確保していた。彼らの他にも、非直の隊員たちが大勢集まってきている。日常勤務の延長である食堂といえど、やはり見た目鮮やかなデザートが並ぶと豪勢に見える。華もすっかり目を輝かせていた。

「護くん、どうしよう、どれから食べよう……アルエットちゃんやウッシーくんにも持って行ってあげようね」
「そうだね! ウッシーには十人前くらい必要かな」

 アルエットや牛山末男は参謀と同じく、司令室待機だ。

(歳の近い女の子少ないんだし、仲良くなってくれると嬉しいんだけどな……)

  アルエットに対して、コンプレックスなど持っていそうにない華の様子を見て、護は安堵した。
 菊帆は、集まった隊員たちに飲み物のグラスやカップを配っている。それらが行き渡って間もなく──地獄がはじまった。

 ──オービット亭にあわてて駆け込んできた火乃紀とカムイが見たのは、あたかも地獄絵図のようだった。
 唇を腫らしたり、顔を赤くしたり青くしたりした隊員たちが、あるいは椅子の上で、またあるいは床に転がって悶絶している。

「ぐおおぉっ、まずい……」
「水、水をくれぇぇぇ」
「しょっぱいイィィィ……」

 テーブルの上には、美味しそうなデザートやケーキ、コーヒーや紅茶のカップなどが並んでいる。だが、それらが見た目そのままのものでないことを、火乃紀は悟っていた。
 被害者のひとりはジャム添えのチーズケーキと思い込んで、激辛チリソースまみれのおから岩塩を口にしてしまっていた。そして、アイスコーヒーに救いを求めて、麺つゆ原液を一気飲みしてしまったのだ。他にも、ティラミスそっくりのイカ墨パウダーがけババロア納豆、イチゴ大福に似た梅干しと濃縮黒酢の丸餃子、カスタードの代わりに練りニンニクが詰まったシュークリーム、アップルジュースに擬態した炭酸センブリ茶、ミルクラテと瓜二つのホットバリウム液……などなど。
 転がってうめいている哀れな犠牲者たちを見下ろしながら、薄ら笑いを浮かべている人物に向かって、火乃紀は怒りをぶつけた。

「何故なの……菊帆さん、どうしてこんな酷いことを!」

 だが、菊帆のニタニタ笑いは収まらない。壊れかけの人形のように、首だけを火乃紀の方に向ける。

「さあねぇ、私も困ってるのよぉ。なんでこんなことになっちゃったのかぁ」
「その嬉しそうな顔……困っている表情筋の使い方じゃない!」
「ああら、間違えちゃったぁ。これならどう……?」

 菊帆は両手の指を眼窩や口蓋にねじこんだ。まるで粘土細工でもこね回すように、顔パーツが歪められていく。

「私、悲しイワーー。せっかくティーパーティでみんなに喜んでもらおうと思ったのに、こんなことになるなンテーー」

 表情は完璧だった。だが、それが火乃紀に、背筋に氷柱が突き立てられたかのような感覚を覚えさせた。

(……これってまるで……十年前に見た……)

 表情を作り込むことで無理が生じたのか、感情のこもらない声で、料理の皿を歯でくわえた菊帆が火乃紀に近づいてくる。

「ギチギチギチ……火乃紀チャーン、こっちの皿は大丈夫だと思ウノヨー。ギチギチギチ……食べてちょウダイーー」

 後ずさりした火乃紀を、カムイが背後にかばう。

「菊帆隊員、“こんなこと”が起きた原因は、<食材合成くん26皿>の設定がメチャクチャに書き換えられたためだ」
「あらーー、そうダッタノーーー。ギチギチギチ……そんなひドイコトー誰がやったのかシラーーー」
「とぼけても無駄だよ。<食材合成くん26皿>のシステムにハッキングの痕跡はなかった。監視カメラにも、システムに近づいた者は、修理した阿嘉松長官と菊帆隊員以外映っていなかった。つまり、正規ユーザーであるあなたがやったことだ!」
「夕食の下ごしらえまで調理しないって言ったのは、私たちを遠ざけて、このティーパーティを開くためだったのね!」

 火乃紀の言葉に、菊帆はさらに楽しそうな笑顔を浮かべた。どうやら、また表情を間違えているようだ。

「トンだ珍推理ネーー。私だって、おかしな食材使わされた被害者なノヨーーー」

 へらへらと笑いながら、皿を差し出そうとする菊帆。その背後から、声がかけられた。

「いいえあなたは被害者ではあり得ません」
「タマラ……!」

 火乃紀は見た。タマラは二本の指をたて、その間にメモリーカードを挟んでいる。

「つい先ほどあなたは<食材合成くん26皿>の設定を書き換えた上でティーパーティの準備をしましたコレにはその現場を詳細に記録した隠しカメラの録画データが入っています監視カメラよりもアップで鮮明に人物の顔と手元が映っています」
「タマラ……あなた、犯人を予測できるって言ってたけど……」
「まさか、わざと実行させて、証拠を押さえたのか!?」

 火乃紀とカムイは呆れたような声をあげた。

「はいそうしないと告発できませんでしたからでもバッチリです多くの方々の犠牲の上に事件は解決しました」

 犠牲となった隊員のひとりが、床の上でうめく。

「ひどい~~」

 もっともである。

「ベテランの料理人が食材の味を確かめずに調理するなどあり得ません最初からあなただと思っていました菊帆隊員」
「でもわからないのは動機、そう言ってたわよね……」

 火乃紀の言葉に、タマラはうなずいた。その額に、汗が浮かんでいる。それも冷たい汗だ。

「ええですがそれも判明しましたすべて解決です菊帆隊員の異常行動の原因それは」

 タマラが真実を口にしかけた時、オービット亭のなかに間の抜けた声が響き渡った。いや、それは人の声ではなく、合成音声だ。床に転がっている人物の胸元から響いている。

『アルジャーノンだー! 逃げるのだー! アルジャーノンだー! 逃げるのだー!』

 愕然とした表情で、自分の首から提げたアイテムの音声を確認したのは阿嘉松長官だ。硫化アリルを含んだケーキでも口にしたのか、ボロボロと涙を流している。

「そんな……<アルジャーノン見張番26号>が反応するなんて……」

 十年前、奇病アルジャーノンの恐怖に直面した阿嘉松が作りだしたアイテム。半径五メートル以内に、重度のアルジャーノン発症者がいた場合に発せられる警告が、いま初めて鳴り響いていた。

『アルジャーノンだー! 逃げるのだー!』
「あラーー、なんだかうるさイワネー」

 菊帆は阿嘉松のかたわらにかがみ込んだ。涙をボロボロと流して、視界を塞がれた阿嘉松に、手に持った皿を押しつけようとする。強烈な臭気を放っている皿の上の品は、一見おいしそうなモンブランにしか見えないが──

「そんなの気にセズニーコレヲー味ワッテー」
「や、やめろ……」

 阿嘉松の口のなかへ恐怖のデザートがねじ込まれようとした瞬間、菊帆の身体が後方へ弾き飛ばされた。天海護が念動力を放ったのだ。
 唇を大きく真っ赤に腫らした護が、阿嘉松を抱え起こした。しゃべるのもつらそうだが、倒れた菊帆も気遣う。

「ひゅみまひぇん……菊帆ひゃん、もうやめれくだひゃい」

 そんな護の倍以上の唇と化した華が、床の上で倒れていた半身を起こす。

「みゃみょりゅきゅん……らいろーぶ?」
「ひゃなひゃんこそ……」

 聞き取りにくくはあるが、互いを思い合う美しい愛情だ。

「モーーミンナシテ……ワタシのジャマヲシテー!」

 勢いよく立ち上がり、タマラの脇をすり抜けた菊帆は、オービット亭から素早く飛び出していった。

「菊帆ひゃん!」
「追おう、もしかしたら既に玉ネギエキスとか呼気循環システムに送り込むくらい、仕込んでいるかもしれない」

 カムイの指摘に、火乃紀はぞっとした。

 

10

 菊帆の健脚は、とても中年女性のものとは思えなかった。がっしりした体格で人並み以上の身体能力を持つカムイや、若い火乃紀、タマラたちが追いつけない。いや、それどころかじりじりと引き離されていく。だが、諜報部員であるカムイが手にしたタブレット端末には、オービットベース内における各隊員の端末位置を表示させることができる。それに加えて菊帆が体温を保っている限り、ターゲットロックされた個別赤外線探査で見失うおそれもなかった。
 懸命の追跡も、三層に渡っただろうか。医療区画Bブロックの角を曲がったところで、火乃紀たちはようやく菊帆に追いついた。いや、そこにいたのは菊帆だけではない。意識を失った菊帆の身体を、見慣れぬ男がかついでいた。

「誰だ? おまえは……」

 羽根飾りをつけたつばの広いトラベラーズハットに長いマント。民族風弦楽器を背負ったその姿は、まるで中世の吟遊詩人のようだ。とてもGGG隊員には見えない。

「おや、君たちもこのご婦人がお目当てなのかな?」

 詩人が軽快な口を開いた。どうやら、言葉が通じない相手ではないらしい。

「みなさん気をつけてくださいおそらく内部の者ではありません」
「何者? どうやってオービットベースに──」

タマラや火乃紀がたじろいでいる途中で、マントを翻す詩人。

「悪いけど拙者、君たちに関わるとめんどくさいから、これで失礼するよ」

 そのまま詩人は、通路に面した予備病室に入っていった。もちろん、菊帆の身体を肩にかついだままである。
 呆気にとられたのは、ほんの数秒。火乃紀はカムイ、タマラとともに病室に駆け込んだ。だが、そこにはすでに誰もいなかった──
 シーツや布団も備わっていない、無人のベッド。それだけが予備病室にあるすべてだ。人ふたりが身を隠すスペースはもちろん、他の出入り口や窓もない。にも関わらず、菊帆と詩人の姿は消え失せていた。

「そんな……菊帆隊員の反応も、サーモセンサーの追尾も途絶えた……」

 自分の端末を見つめながら、カムイが呆然とつぶやいた。位置情報の発信を止めるには、菊帆の端末からバッテリーを外す、もしくは端末そのものを破壊するしかない。わずか数秒で、詩人はそれをやってのけたのだろうか。

「……あの人たち、どこに……?」

 ──十分後、火乃紀たちはセカンドオーダールームにやってきていた。顔を洗ってようやく人心地を得た阿嘉松や護、急報を受けた楊や戒道も来ている。
 状況を聞いて、データを解析した平田昭子博士が、一同に告げる。

「間違いありません。カムイ隊員から教えられた時刻、オービットベースから約百四十キログラム……成人ふたり分の質量が消失しています」

 オービットベースは閉鎖された宇宙基地だ。たとえ何かを燃やそうと、化学変化で分解しようと、その質量はどこにもいかない。外部へ投棄しない限り、基地全体の質量が変化することはないのだ。

「当然、エアロックが開閉した形跡はないのだな」

 楊の問いに、野崎通博士がうなずく。

「ええ、痕跡もありません」
「あり得ない、質量保存の法則に反しているわ……」

 呆然と呟く平田の隣で、タマラが映像データを確認している。そして、おもむろに意外なことを訊ねた。

「火乃紀さんあの人物どこの国の言葉を話してましたか?」
「どこの国って、日本語だったけど……」
「え、フランス語じゃなかったかい?」

 意外そうな顔でカムイが口を挟む。兄と異なり、彼はフランスで育ったハーフである。だが、タマラはその会話に納得したようだった。

「私にはウクライナ語に聞こえましたこれでわかりましたあの人物は音声言語を発声してはいません」
「音声言語を発していない? つまりどういうことだ?」

 一同を代表して、戒道が疑問を口にする。タマラは自分が見ていた映像データを、壁面の大型モニターに表示させた。

「本当は病室内の映像があれば良かったのですがないものは仕方ありませんこれは通路の監視カメラが撮影したものです」

 そこには火乃紀たちと、菊帆をかついだ詩人が映っていた。だが、なにかがおかしい。

「私たちの声が聞こえるのに、この人の声が入ってない……」

 映像のなかで、詩人はただ口をパクパクさせていた。一言も発声することなく。

「リミピッドチャンネル……つまり、この人はベターマン……」

 護が険しい表情でつぶやいた。六年前、そしてつい先日邂逅したラミアと同じだった。自分の意思を音によらず、リミピッドチャンネルで届けてきた。その証拠に、護が耳にしたと思ったラミアの声は、覚醒人凱号に記録されていなかったのだ。

「リミピッドチャンネルで伝達されるのは意思。おそらく受け取った者は、自分の母国語で告げられたと思い込むのだろうな」

 楊の言葉に、一同は納得した。だが、納得だけで収まらない者がいる。

「ベターマンの仲間ってのは分かった! 問題は何故、またアルジャーノンが起こったかだッ!」
「………」

 阿嘉松の叫び声に、ただひとり、火乃紀だけが心を痛めたように目を伏せた。十年前、最初にアルジャーノンが猛威を振るった時、その事態に直面した人物は、この場にいる中では阿嘉松と火乃紀だけだ。ふたりにとっては、地球外知性体の侵攻やインビジブル・バーストに匹敵するほどの脅威である。いや、もたらす恐怖の大きさでいえば、それ以上であるとも言えた。

「ドクター・タナトスと菊帆隊員、僕らの前にふたりもアルジャーノン発症者が現れた……」
「ああ、偶然じゃない……だけど、それがどうした?」

 護に応えた戒道の言葉に、一同が驚いた。だが、それらの視線を気にすることもなく戒道は続ける。

「たとえどんな問題が起ころうと、僕たちGGGはプロジェクトZのことだけ考えるべきだ。脇目を振る余裕はない」
「戒道君の言うとおりだな。ファーストフェーズ再始動まで、あと六日。アルジャーノンの件は国連の専門機関に委ねて、我々はプロジェクトZに専念すべきだろう」

 戒道の言葉に、楊が同意する。ほんの数時間前、ふたりが互いの意思を確認しあったことを知る者はいない。

「……たしかに……な」

 自分でも納得していない表情で、阿嘉松はつぶやいた。

「たしかにこの件は、俺たちが関わるべきじゃねえのかもしれん。だがな、二度起きたことはまた起きる──アルジャーノンは続くぞ」
「了解した。長官が発明した、アルジャーノン発見器とやらを各部署に配備して、対応策をシミュレートしておこう」
「ああ……頼む……」

 そう応えつつも、阿嘉松は納得していなかった。

(十年前のアルジャーノンは、人類全体を脅かす生態系の癌細胞<カンケル>に呼応して起こったものだった……。だったら今度はなんだ? いったい何が起こっているっていうんだ──!?)

 もちろん、その問いに答えられる者が周囲にいないことは承知していた。

 

11

 太古より地球には、自らをソムニウムと称する種属が生息していた。彼らは多くの能力で人類種を超越する存在であり、本来ならば霊長類としてヒトを従えていても不思議ではない。だが、たったひとつの能力が劣るが故に、それはかなわなかった。すなわち、繁殖力である。
 ソムニウムは常に個体数が少なく、存亡の淵に立っていると言ってよい。であるがため、彼らは常にヒトとの表だった抗争を避けてきた。ヒトの屍を苗床として育つアニムスの実が糧である以上、必然でもある。
 そんな存在であるソムニウムからすれば、ヒトの脳は欠陥の多い不完全なものとしか思えない。なぜならば、その意識野は認識の欠落を著しく抱えているからだ。
 必然として訪れる未来から目をそらし、歪んだ空間を認識することができない。そうした時間的、空間的間隙の存在こそが、ソムニウムにとっては煩わしさを避ける格好の安息の地となる。
 ただ、時にヒトの中にも異能の認識力を持つ者が現れることがある。そうした者がソムニウムの生息地に紛れ込み、常世の国、隠れ里の伝承を残した。いずれにせよ、それらは常人たる普通のヒトにとって、知覚することが不可能な領域。
 セプルクルム──ソムニウムは、自らが潜む不可知領域をそう称している。
 ヒトは、魚に喩えると、断崖絶壁に囲まれた谷間の川で暮らしている。絶壁を昇る能力もなく、昇る必然もないため、認識する必要もない。物理法則の概念も、人間の生息環境である川面や水中でのみ通用するものだ。絶壁の存在や、陸地を証明する知識としての感覚器官を持たないのだから。人類がいまだに暗黒物質や素粒子のすべてを解明できない理由もそこにある。ピアノの鍵盤が音域のすべてではない。犬やイルカ、コウモリなどは、ヒトが感知できない超音波を認識する。視覚としてヒトが見ている色も、三原色を認識する細胞の組み合わせでしかなく、鳥や亀に至っては四原色の細胞を持ち、ヒトの数百倍もの色の種類が見えている。
 セプルクルム──それは人類には認識できない不可知領域。ヒトには見えず、聞こえず、ヒトが築いてきた知力では説明できず、行くこともできない。偶然が重なり、行ってしまったとしても、その場所を把握するには、生体に欠如している感覚器官を養う必要があるのだ。

 神奈川県横浜市に存在するセプルクルムのひとつに、数体のソムニウムが住み着いたのはヒトの暦で十五世紀のことになる。当初は大陸における抗争に敗れた数体が落ち着いただけであったのだが、次第に個体数が増え、二十世紀には世界有数の生息地となった。
 その一方で、十七世紀になるとただの砂州であるその一帯が、江戸の材木商によって開墾されていった。もちろん、ヒトの知覚にセプルクルムが認識されることはない。
 十九世紀からは、外国人居留地となり、現在では横浜中華街という通称で呼ばれるようになったが、ソムニウムの方もそれらの“断崖絶壁に囲まれた川”に暮らす同居人を意識することはなかった……。

 その横浜のセプルクルム――断崖絶壁の上にある、アニムスの花畑に囲まれた広大な土地に、大の字に横たわり異様なオーラを放つ異形が存在していた。
 あえて言葉で表現するならば、“少女の残骸”といったところであろうか。セーラー服のような衣装を着た十代の少女とおぼしき身体の表面に、四つの孔が空いている。それも直径五十センチほどの巨大な孔だ。太い杭を打ち込んで押し広げたら、このような状態になるのだろうか。身体の輪郭は崩れ、孔の外側はペラペラの薄い皮膚のみになっている。むしろ、四つの孔の周囲にへばりつく残骸、その元の姿を想像したならば少女であろうと推測できる──そういった状態だ。
 だが、ヒトならば死んでいるであろうその状態でも少女は生きていた。

『あ、あああ……』

 声にならぬ声。リミピッドチャンネルによる苦悶の呻きがもれる。当然、唇は動いていない。額とおぼしき部位に十字の光がまたたくのみ。
 その異形のかたわらに立つソムニウム・ラミアが、同じく意識の波で問いかける。

『……彼らが……戻りくるのか、シャーラ』

 シャーラと呼ばれた異形の少女が、真っ赤な瞳を見開いてラミアの問いを肯定する。

『もう…すぐ……あああああッ!』

 それが声であれば、耳を塞ぎたくなるほどの絶叫であっただろう。だが、ラミアは眉一つ動かすことなく、シャーラを見つめている。
 やがて、四つの孔がさらに広がった。それぞれ直径一メートルからそれ以上に。シャーラは苦悶に満ちた形相をさらに歪めていく。

『来る…来る……来るゥゥゥッ!』

 ラミアにとって、その光景は驚くべきものではなかった。シャーラがこの異能を発揮するために必要なモノ──特別なアニムスの実。それを手に入れてきたのが、ラミア本人なのだから。
 六年前、覇界王降臨の予兆を感じて以来、ラミアは備えを進めてきた。その過程で、もっとも切実に欲していたのが希少なるアニムスの亜種、ソキウスの実だ。
 その実を宿したのが、ドクター・タナトスと名乗る老人であったのは必然だっただろう。彼は人類で初めて超常の力<ザ・パワー>に触れた者のひとりだったのだから。

『きゃあァあァァッ!!』

 シャーラの絶叫が響く。同時に四つの孔から、四体の姿が現れた。狭い孔を押し開くようにして、セプルクルムの地に降り立つソムニウムたち。
 彼らはそれぞれヒトの遺骸を抱えていた。だが、最後に現れた小柄なソムニウムだけは、アニムスの花の実のみをいくつも手にしている。

『……実だけを持ち帰ってきたのか、ガジュマル』
『文句はないはずだ』

 ラミアへの隔意を隠しようもない意識が帰ってきた。少年の体格のガジュマルだが、その生意気な顔からは激情が宿っていることがうかがえる。だが、その感情もシャーラの意識を受け、波のように去って行く。

『ガジュマル……それは私のため?』
『違う、この方が効率がいい、それだけだ』

 リミピッドチャンネルは意識を伝達する。表層意識の偽りなど、無意味だ。小さめの孔から出入りすることでシャーラが感じる苦痛を少しでも減らすよう、ヒトの遺骸ではなく、遺骸から収穫された実だけを持ち帰ってきた、ガジュマルの真意は明らかだった。

『ありがとう、ガジュマル……』

 そう語りかけたシャーラの姿は、もはや異形とは呼べなかった。四体のソムニウムが通過した四つの孔は塞がっていき、いまや小さな傷口程度になっている。その孔は正確には身体にではなく、身体に接した虚空に開いた次元ゲートに近い。今やシャーラの全身の輪郭も、普通の少女のような姿に戻っていた。

『ペクトフォレース……ソキウス……』

  シャーラは自ら、腹部にある裂け目に手を入れた。

『ん……』

  少し痛みを伴ったのか、吐息をつきながら手を抜くと、その指先には何やら実が握られている。

『……ソキウス』

  ラミアが見つけてきたアニムスの亜種、ソキウスの花の実と同じ物である。

『ソキウスの能力が尽きる前に、そうやってまたソキウスの実を出せばいい……ラミアの思惑どおりだな』

  嫌味を込めてラミアをにらんだガジュマルが、額に十字を光らせる。

『最初のソキウスに辿り着くまで……時間をかけ過ぎた……』

  ラミアの十字も光る。その意識には、ややすまなさそうな響きが含まれている。

『もう、大丈夫。あとは自分で見つけられる』

 直後、少女のオーラが全身から消え、能力の終了を告げた。
 フードの付いた赤いケープを羽織って落ち着いた少女シャーラ。ソキウスの実をケープの奥にしまうと、花畑に置かれていた日本刀のような杖を手にした。長さの異なる二本の刀を並べたような形のその杖を地に突き刺し、身体を起こす。その様子に安堵したのだろうか、少年ガジュマルは特に意識を返さなかった。そんなやりとりを見つめていたラミアは、周囲に立つ他の三体のソムニウムの方を向く。

『……ユーヤ』

 そう呼ばれた女性型のソムニウム・ユーヤは、六年前、ラミアとともに護の前に現れたクラゲのようなモノとよく似たドレスをまとっている。おそらくは、あのクラゲ形態は彼女の変態した姿であろう。

『案ずるなラミア、手筈通りだ』

 軽くうなずき、ラミアは隣の大男に視線を移す。

『……ヒイラギ』

 ラミアの三倍以上の重量はありそうな体格。巨大なホッキョクグマのような獣の毛皮を被った豪放な巨漢ヒイラギ。

『ダイジョウブ……ボクも……無事にナエドコを持ち帰った』

 荒くれ者のような出で立ちだが、リミピッドチャンネルからの意識は優しい。

『……ライ』

 そして、最後にラミアが視線を向けたのは、オービットベースに現れ、たちまち姿を消した吟遊詩人風の男ライ。

『拙者も順調に仕事をこなしましたとも』

 ヒトに混ざって暮らした過去でもあるのだろうか。ライはリミピッドチャンネルとともに口を動かす小細工を身につけている。それはソムニウムらしからぬ流暢な言葉を操っているかのようだ。また、その身振り手振りもおどけた様子で、ふざけたお調子者のようにも見える。
 彼らはそれぞれ、ヒトの遺骸を抱えていた。それも顔面に大輪の花を咲かせた屍である。ヒトが死ぬ瞬間、その魂魄を養分として瞬時に咲く<アニムスの花>。何もない地面から一晩にして巨大な花を咲かせるラフレシアの如く。葉のない茎の先の花は、彼岸花のように美しい。そして、その花にはアニムスの実が生る。彼らはその実を求めて、<ソキウスの路>を経た旅に出ていたのだ。

『やあ、ラミアくん。君の読みは正しかったよ。あの宙の砦ではやはり、極上の実がとれた』

 ライは抱えていた菊帆エイルの顔面を、ラミアの方に向けた。そこに咲いている花には、すでに小さな実が生りはじめている。

『フォルテ……』

 ラミアの意識は、その特別な実を認識してわずかに震えた。フォルテの実は、ラミアに絶大な力を与える。同時にその実が発生することには、重大な意味が存在する──ラミアは認識していた。

『やはり、敵はカンケルを凌ぐカンケル──』
『おっとラミアくん。逸る気持ちはわかるが、まずはこのフォルテを正しく使うとしようじゃないか』
『ライ……ラミア』

 ふたりの意識に、ユーヤが割り込んできた。

『わかっているはずだ。ようやく最後の鍵を手に入れる時が来たことを──』
『………』

 ヒイラギの意識は沈黙している。だが、ユーヤに同意していることは、目の輝きからも明らかだった。少年ガジュマル、それに少女シャーラも無言でラミアを見つめる。
 十年前、カンケルとの争いでラミアは多くの同胞を失った。そしていま、ラミアの前には五体のソムニウムがいる。新たなる戦いに備えて見つけ出した、新たなる仲間。だが、まだ足りない──最後のひとかけらが。
 ラミアはゆっくりとうなずいた。

『……わかっている。今こそ、勝利の鍵を──羅漢を手に入れる時』

 ラミアの決意に応えるかのように、フォルテの実が一回り大きく育った

(つづく)


著・竹田裕一郎
監修・米たにヨシトモ


次回12月28日(水)更新予定


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