はるかの星【第1回】

『おはようございます、はるかちゃん。今日のログインボーナスはこちらです……』

 寝ぼけ眼をこすりながらスマホのアプリを立ち上げる。お気に入りのアプリは、画面を見なくてもタッチできるようになり、このボタンを押すことが私の一日の始まりを意味する。いつもと変わらない日常の始まりに、いつもと変わらない私の親友からのLINE通知音が鳴り響く。
 LINEの差出人は私の親友、二ノ宮愛(にのみやあい)。アイが私にLINEを送る場合は、もれなく『大ニュース』という見出しがついてくる。
 果たして今日の大ニュースは、私をどれだけビックリさせるものなのか。そういえば、昨日の大ニュースは『ラジオで私の出したメールが読まれた!』だった。
 寝ぼけた目で視線を文面にやると、やけに涼しい風が私の首筋を撫でるように通り過ぎた。
 今日は、夏のバカンス初日。日が高くなり、遠出をするにはやや時間がたちすぎてしまった感のある、お昼休み時間も終わりの頃。夏休みのブランチタイムを少しでも楽しむ余裕があるのなら、ゆっくりとスマホをいじるその精神的な余力を別のベクトルに向けて使ってもいいんじゃないかと自問自答。たとえば、パジャマを脱ぐとかね。

「title:『本日の大ニュース』
一橋星陵(ひとつばしせいりょう)高校に通う皆藤はるか(かいどうはるか)、親友の二ノ宮愛と橘里佳子(たちばなりかこ)の待ち合わせに遅れる!」

 時計は午後の13時06分……いまだベッドの中のはるか、親友たちとの約束を守らず。


 昼も13時を過ぎ、私が住む町『大宮(おおみや)』の駅前は、待ち合わせに遅れた彼氏彼女、友達を待つグループの群れでごった返していた。しかもこの炎天下のなか、じりじりと容赦なく降り注ぐ太陽光の責め苦に耐え続けなければならないのだから、待ち続けている身としては、しんどいことこの上ないはず。駅の広場を上から眺められるこのスロープからでも、その苛立ち加減が熱気とともに上昇している。こう、ユラユラメラメラと。
 張り込みする刑事がアンパンでもくわえながら牛乳を飲んでいるのが定番のイメージなように、私を待っていたこの二人も、いつものように腕組みをしながら棒付きキャンディーを舐め、カゴバックを両手で抱えて上目遣いであたりを見回してる。何かを待ち続ける刑事のようなその上目遣いが探しているのは、もちろん寝過ごしてしまったこの私。

「言いだしっぺが寝坊とはいい度胸だ。さぁて、我々は遅刻してしまったはるかに何を要求してくれようか?」

 明らかに不機嫌そうな表情をしているのは二ノ宮愛。キャンディーはすでに舐め終えてしまったらしく、アイの威勢の良いしゃべり口調を邪魔するものはもうなにも残っていない。

「まぁまぁアイちゃん、いいじゃない。事故とかじゃなくてホントよかったよ」

 夏の風に揺れる美しい黒髪を押さえながら、白い帽子の絶世の美少女が優しく語り掛けてくれる。白いスカート、ピンクのお洒落なブラウスにカゴバッグ。これをお嬢様と呼ばずして、いったい橘里佳子をなんと表現しよう。私が男だったら絶対放っておかないね。

「リカッチったら甘すぎ。だ・か・ら、はるかにいいように言いくるめられちゃうんだよ。時にはね、こうビシッと言ってやるべきなんだ。ビシッと」

 お嬢様の笑顔に油断していた頭上に、ビシッとアイの愛あるチョップが決まる。それを見てちょっとふきだしてしまう里佳子ちゃん。サスペンスドラマの最後が断崖絶壁で風に吹かれながら罪を泣いて告白するのが定番だっていうなら、私たち三人の遅刻劇のオチも大抵はアイのチョップで幕が下りる。とはいえ、毎回こうはいかない。

「ゴメン……でもでも、前回はアイが遅刻したじゃんよ。これでおあいこ」
「ムム、言い返せない……で、でもあれは、先生に急に呼び出されちゃったからで……」
「はるかちゃん、ちょっと待って」

 割って入るお嬢様。形勢を逆転するにはまたとないチャンスだったが、セコンドから白いタオルが舞い込んでしまった。見間違えた、里佳子ちゃんの白いスカートが顔面を覆い隠さん勢いで風に舞う。モンローもビックリ。いたずら風に翻弄されるも、本人は意に介さず。真剣な眼差しを向けてくる。

「通算で9対10。はるかちゃんのほうが1回多いよ」

 里佳子ちゃんの記憶力には恐れ入るよ。お嬢様で優等生で白が似合う美少女で遅刻もせず……ホント、女でも放っておかないね。願わくば天然キャラではないことを祈ります。とりあえず聞いてみる。

「な、なにが?」
「二人が私を待たせた回数♪」

 里佳子ちゃんの視線が鋭く突き刺さる。すこしだけ天然であってほしかったかも。


 二ノ宮愛と橘里佳子は同じ一橋星陵高校に通う高校生。
 アイとは幼稚園からの付き合いで、いわゆる幼馴染という間柄。家族ぐるみで出かけることもしばしば。一緒にリンゴ狩りにいったり、バーベキューをしたり、ぶどう狩りにいったり、栗拾いに行ったり、潮干狩りをしたり。アイとの思い出はそこはかとなくおいしい香りがするものばかりだ。
 それに、見た目に反して――って、アイには悪いけど――ギャルっぽい外見に似つかわしくないほどの気配り屋でもある。
 橘里佳子ちゃんとは高校になってからの付き合い。私やアイとは違い、都会のいいとこのお嬢様で、品行方正、可憐で清楚、礼儀正しく、折り目正しく、まさにお嬢様としての運命を全うすべく生まれてきたような娘。親の都合で、二年生の春に一橋星陵高校の近くに引っ越してきた。
 それまでは引っ越しの経験は無く、いわゆるお嬢様学校に通ってきたのだという。すべてが厳しく管理されている学校だった典型的なお嬢様育ちの里佳子ちゃん。友達づきあいもあまりなく、いつも習いごとばかりの生活。数人ほどいた友達も、上辺だけの付き合いをされていたみたい。
 越してきたタイミングも悪かった。4月末という、ゴールデンウィークを目前に控え、みんなが楽しく休日の予定を立てている渦中に放り込まれた異端者は、やはり教室でなじめずにいた。

『いいとこのお嬢様は私たちなんかとは話さないの』
『なんかずっと黙っていて近寄りがたい』

 噂だけが一人歩きし、彼女が笑いながら誰かと話す機会はなかなか訪れなかった。

 きっかけなんて些細なもので、重要なのはその本質をどうやって見抜くかが大変なだけ。里佳子ちゃんの場合、その殻はあっさりと剥がれ落ちてしまった。
 忘れもしない、里佳子ちゃんが転校してきて一週間がたったある日。いつも昼休みになるといなくなってしまうお嬢様を学食で見かけた。以前通っていた高校の、色鮮やかなスカイブルーのセーラー服は否が応にも目立ってしまう。おろおろ右往左往する姿はどこか愛らしく、助けてあげたくなるオーラが自然と湧き出ている。その姿をアイが見逃すはずもなく、音を立てずにそっと後ろから忍び寄る。

「わっ!!」
「キャ!!」

 振り返るお嬢様の目にはうっすらと涙が浮かんでいた。平々凡々な暮らしをする中で、学食の中で涙を流すということは、アイの大ニュースに相当するほどの特異性をはらんでいる。たまねぎを器用にみじん切りするおばちゃんでも、涙はここでは流さない。

「学食初めてだから勝手がわからないんだって」

 学校により多少の差異はあれど、学食のシステムなんてものはたかが知れている。食券を買うか直にオーダーするかのどちらかなものなのだが、そんな一般庶民の常識など知らぬかのように、アイに対して向けられたすがるような眼差しからは、いつも感じられるお嬢様の気品のかけらもなかった。道に迷っただけで泣き顔になってしまう女の子、そんな感じ。アイに手を引かれて後ろをついてきた里佳子ちゃんが、顔を真っ赤に赤らめながら言った。

「よかったら、一緒にお昼しませんか?」

 本当に生まれも育ちもお嬢様な彼女は、世間を知らなかった。

 聞けば、前の学園には給仕員という人がおり、各教室に素晴らしく栄養バランスの取れた、これ以上なく完璧なメニューの昼食が運ばれてきたらしいのだ。そりゃあ、世間の常識からズレるわけだ。
 給食のみに留まらず、学校に車で乗り付けるお嬢様もいれば、乗馬やバレエ、ピアノに華道、茶道をたしなむお嬢様がひしめく日々の繰り返し。彼女にとってはなんてことのない日常の一コマだった。そんな里佳子ちゃんにいろいろと、一庶民のイロハを入れ知恵するのがアイにはたまらなく楽しかったらしい。そういえば、昔よく妹か弟がほしいとつぶやいてたっけ。

 私たちは里佳子ちゃんに誘われて、お昼ごはんを共にした。

「あの……はるかさん?」
「え!? あ、なに、橘さん?」
「できたら、さん付けで呼ばないで……名前で呼んで。でね、あの……はるかちゃんって、呼んで、いいかな?」
「え!? あ、うん! わかった! よ、よろしく、りかこ…ちゃん」

 こりゃ、男子は放っておかないね。

 こうして仲良くなった私、皆藤はるかと二ノ宮愛、橘里佳子の三人が炎天下の中を一緒に歩いているのには、少なからず理由があるわけで。その理由というのも、ちょっと変わったことに起因する。


 寝坊したあの真夏日をさかのぼること二週間前の7月上旬。テスト期間が終わりを向かえた午後。私たちも他の多くの生徒たちの例に漏れることなく、いかにして高校生らしい夏休みを満喫するか計画を練っていた。
 教室のど真ん中、教壇から数えて二番目と三番目という、授業を受ける身としてはこれ以上ない席を陣取り、放課後、人のまばらな教室で私たちは会議を重ねていた。おおよそ、仲良しグループのメンバーが集まってこういった会話をしながら、当たり障りのない夏休みの有意義な過ごし方を議論するのが世間一般で言うところの夏休み前というものなのだが、これもお嬢様の里佳子ちゃんにとっては、新鮮な体験らしい。

「夏といえば海、プールじゃなくて、海! コレは絶対に譲れないね」
「おぉ、威勢よく主張するね、はるか。別に私はかまわないけどさ……」
「なによ、アイ。なんか不満?」
「不満って言うか、近場の海ってなんか良いイメージがないんだよね」
「とかなんとか言っちゃって、本当は水着を着るのがいやなんでしょ?」
「な、なんでさ」
「アイってば、正月に餅食いすぎた~って嘆いていたじゃない? 運動らしい運動もしてない。そろそろおなかあたりが、危険な感じになってきちゃってたりしてるんじゃないの?」
「ち、違うよ! あそこの海岸って毎年人でごった返すでしょ? 人ごみの中でゆっくりバカンスを満喫して……ってイメージできない。私が期待する海っていうのは、誰もいないプライベートビーチ。サラサラの星の砂で一面覆い尽くされた海岸。どこまでも続く青い海、青い空。そんなリゾートなのよ。ゴミゴミしたところはゴメンだわ」
「ん~たしかに……でも、理想がさすがに高すぎやしない?」
「例年良く見る光景だけどさ、あんなにごった返した人ごみの中で、よく海に入ろうという気になれるわよね」
「でもでも、近場で済ませるとなると、人ごみは避けらないよ。沖縄にでも行く? それこそ、私たちのバイト代だけじゃあ足りないよ。それに里佳子ちゃんだっているんだし……」

 そうだよ、里佳子ちゃんが一緒なら、なおのこと近場の海へ繰り出すことなんて出来ない。それこそ、プライベートビーチで夏は優雅に、のんびり過ごしていそうな感じの子に、私たち庶民の過酷夏休みプランを押し付けるのはいかがなものか。
 不意に気づいてしまったことの重大さにアイと目を合わせるが、刹那的な考えではやはり有効な解決策を見出すことが出来るわけもなく。改めて、私たちの貧相な想像力を目と目で通じ合ってしまった。
 ない知恵を絞って考えることもない。試しに聞いてみる価値はあるんじゃない?

「里佳子ちゃん。別荘なんて……ないよね?」

 ニコニコ笑顔を絶やすことなく、ずっと私たちのくだらない会話に――楽しんでくれていたかどうかは定かではないが――耳を貸してくれていた里佳子ちゃんが口を開いた。

「あるわよ、一番小さいのでいいかしら?」

 さも当然といわんばかりに、別荘の有無を答える生粋のお嬢様。なんとなく想像は付いていた。その驚きに関しては、前もって心の準備をしていたため、ハンドルぎりぎり、面舵いっぱい驚きを回避したのだが、どうしても気になる点がひとつ。

「一番小さい?」
「プライベートビーチがあって、人のいない別荘って言うと、今からじゃ一番小さいのしか押さえられないと思うの。だから、ごめんね」

 小さい手を大きく広げ、指を折って数を数えていく。小指一本が残ったところで、それを目の前に突き出してくる里佳子ちゃんの顔は、ワクワクドキドキに満ち溢れたものだった。
 かくして、私たちの夏休みイベントの第一ラウンドは里佳子ちゃんの別荘へと赴き、海を満喫するというプランニングに決まった。紆余曲折し、色々な計画、綿密な資金繰りをへて、やっと完成するべきなのが学生旅行というものかと思っていたが、こういうギャップなら大歓迎。むしろ、他の誰にも経験できないことは、大きなプラスになる。

 私にとっても、私の星にとっても、ね。

 え? 星ってなにかって?

 私たちはそれぞれ自分の星を持っている。
 お金持ちなら離れ小島の所有権を買うくらいわけないでしょうが、私たちは高校二年生の分際で、どんな金持ちも成し得ないことをやってのけている。
 そして、今、私は自分の星に海を作ろうと計画している。

「なるほどね。実際に海へ行けば、自分もプライベートビーチでのバカンスを楽しめて、私たちの星にも海が出来て潤う、というわけか。私の星にも作っちゃお♪」
「はるかちゃんの星に海を作るために海へ行く。なんか不思議な話ね」

 これ、全て実話なんだ。


著者:クゲアキラ
イラスト:奥野裕輔


次回10月4日(火)更新予定


       第2回 →

〈作品ページ〉