【第05回】リバイバル連載:サンライズ創業30周年企画「アトムの遺伝子 ガンダムの夢」

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その5「ミスター巻物」

「見てるぜ[アトムの遺伝子ガンダムの夢]・・・・まずまず快調じゃないか。ご苦労ご苦労」

 矢立肇が言いながらご褒美だと言わんばかりにビールを注いだ。

「んじゃまあ・・・・」

 矢立はちょっとグラスを掲げて一気にそれを飲み干した。

「これこれ、ここのこいつは俺の口に合うんだ」

 と言いながら矢立は出されたモツ煮込みに七味を振りかけた。
 此処[南部屋]のモツ煮込みは確かに旨い。ただしちょっと味が濃い。したがって北のほうの出身者に評判がいい。山形出身の企画室長の[井上]君なんか絶賛ものである。

「旨い!」

 矢立は煮込みを口にほうり込んではもぐもぐやり、ビールを飲んではもぐもぐやっている。ビールでも飲ろうと言ってきたのは矢立の方だ。こんなときは何か話があるに決まっている。だが矢立がすぐに切り出さないで食べたり飲んだりしてグズグズしているときはまずろくな話じゃない。

「なんだ、話って?」

 私は自分から水を向けた。

「なに、たいした話じゃない・・・・インタビューのテープ起こしを見たんだが・・・・」
「それがどうかしたか」
「・・・・お前、インタビューアーのくせに自分でしゃべり過ぎだ」
「・・・・」
クチビルルン全開だ。あれじゃ相手が話が出来ねえって」
「・・・・」

 この面倒くさがり屋がテープ起こしの原稿なんか見るわけがない、クソ~、廣瀬かあの鋼鉄女の浅井女史がチクッたに違いない。ま、しかしテープ起こしを見て自分ながらそう思っていたので、

「半分ぐらいにすっか」

 と言ったら、

「五分の一だな」

 とぬかしてけつかる。

 ま、そんなこんなで注意はしたのだが、テープを起こしてみるとやっぱり自分がよくしゃべっていた。『私のしゃべりは極力削りました。岩崎さんごめんなさい』ということで今回は制作の権化[岩崎正美]氏である。
 久方ぶりにお会いした岩崎氏は現役時代よりいくらかふっくらとしてお元気そうであった。昔から創業者7人の中では一番のダンディーでスーツが姿が品よく決まっていたのだが、今日はスタンドカラーのシャツ姿も軽やかに明るい顔に開放感が感じられる。 インタビューはいつものように虫プロからの移行時から始まった。

外注さんにお金が払えない
こんな事はしたくないな‥

岩崎「7人の中では、僕は最後まで虫プロに残ってたんです。人質みたいなもんですかね。最後まで作品を担当してたし、当時の社長からも『何とか頑張ってくれ』って言われていた。でもね、体力的に続かなかったよね。24時間体制だったから殆ど寝てないし・・・・。外注さんにお金が払えないっていうのがきつかった。これだけはね、もし自分が新しい会社を起こしたらこんな事はしたくないなってね・・・・。『前月は、遅れましてすいません』と払って、『次の仕事をお願いします』ならいいんだけれども、2、3ヶ月前の分を払わないで、『またお願いします』っていうのはいくらなんでもね。それはできないなってね・・・・」

 当時、乱立した新興プロダクションのなかに案の定資金繰りが悪くなってしまったところがあり、気の弱いくせにプライドの高い社長が外注さんに支払延期のいいわけも処理も出来ず悶々としていたところ、進行の一人が外注さんにいいわけに出かけ、挑発して暴力を誘発させ、わざと数発なぐられ顔を腫らせて帰ってきて社長に『あそこの支払いは当分OKです』なんて嘯いた剛の者を私は知っている。後にその進行はそのプロダクションの社長に収まり、いまはアニメをやめVシネマの雄である。ええ、余分な話でした。

岩崎「虫プロで給料さえ貰ってないのに“会社を作る”ということで、みんなで出資金を寄せ集めるんだけど。お金なんてどこにもないしさ(笑)1人10万円集めるのが大変でね、女房がもってきた結婚の支度金も生活費で全部食っちゃってさ、わーって感じ(笑)。で、創映社は『企画営業』。『制作』は制作で別個にしておこうじゃないかと、サンライズスタジオを作った訳‥」
高橋「そこで岩崎さんは?」
岩崎「僕は、サンライズスタジオ」
高橋「今でこそ何の疑問もなしに上井草ですが、どうして此処だったんですか?」
岩崎「なんで上井草になったかっていうと、西武池袋線は東映動画があり、中央線沿線には阿佐ヶ谷に東京ムービーがあり、国分寺には竜の子プロがありとかさ、色々ありましたから、何にもない西武新宿線のこの近辺がいいんじゃないかと上井草になっちゃった」

 そんな気楽な理由で根を下ろした弱小プロダクションが杉並区でも有数の納税額を誇る優良企業へと成長するのだから世の中は分からない。

高橋「創業は7人で始めた。どうしてこういうメンバーだったんですか? 特にこの7人が虫プロにいた時にいろいろと親密だったという印象は無かったんですが」
岩崎「私と伊藤ちゃんと山浦さんは、虫プロでは1つのグループだったんですよ。最後の頃は事業部制っていうのがしかれていたんです。営業、企画、制作っていうのを一貫して、スタッフも全部、監督も2人抱えて・・・・作監もアニメーターも何十人とか、仕上げも何十人とか、背景も撮影もっていうグループ編成を組んでいたんです。
 山浦さんは企画。営業は伊藤ちゃん。制作は俺って、大体固まっちゃったわけですね。それでもう一つの制作部の方にきっちゃんがいたのかな、岸本氏がね・・・・渋やんと」
高橋「そういうことがあったんですね」
岩崎「沼本氏は作画全般のアニメーターのプロモートっていう仕事をやっていた」

1ヶ月や2ヶ月は平気で遅れちゃう。
あげくは『今日は腹が痛いだの、どうしたの』って

高橋「僕も虫プロで制作進行をやってたんですけれど、“制作の妙”というか面白さみたいなものというか、それが体感できる所までは行かないで演出のほうに移っちゃった。制作のやりがいと言うのは?」
岩崎「やり甲斐ねえ・・・・。最初は辛いけど、自分の仕掛けた色んなものにうまくモノが動いていくと、『やった!』っていう気分はありますよ」
高橋「理屈では判るんです。でも日常作業を見てると、やっぱりね、ピンとこないんですが・・・・具体的には?」
岩崎「なんだろうねぇ(笑)。だけど一緒に作品を作り上げてるわけだから、上手いスタッフの組み方ができたときとか、色々あると思うんです。人によって色々違うでしょうけどね。
 僕は、虫プロに入ったとき、『なんでこんなにいい加減な世界なんだ!?』と感じたんだよね。社員なのに時間には来ない、絵は描かない、ギャーギャー催促しても、スケジュール通りにいったことはない。下手すると1ヶ月や2ヶ月は平気で遅れちゃう。あげくは『今日は腹が痛いだの、どうしたの』っていう状態になっちゃう(笑)」
高橋「ハハハハハ」

 かく言う私もその一人だったような・・・・身に覚えのあることばかりなので笑うしかない。ああ~胸がズキズキ!

岩崎「スケジュールが悪くなったら線画でアフレコやったりとか、線画もなくて声優さんが色線だけでやったらこれはもう放送劇だ。アニメーションは総合芸術なんだから、いくらいい映像を作ったとしても、要するに絵が見えない所で声優さんが一生懸命声出そう、演技しよう、音響さんが音をつけようと思っても、線画じゃねえ。しかも色線だと、ぜんぜん掴めないよね。アフレコだとかダビングだとかの時にはある程度絵が入ってるっていうことがなければ、総合芸術とは言えないじゃない。欠けちゃった部分があると、ホントの意味の映像、映画っていうものにならない。なんとしても色をつける体制づくりを余程しっかりと考えていかないとめちゃくちゃなものになるんじゃないかっていう事はいつも考えていた」

高橋「僕が見ていてもありますね。仕上がるものの最終イメージは監督しか判っていないっていう作品があります。みんな目の前の作業をしてるんだけど、総合的なイメージを持てない作品。・・・・優秀な監督が最終イメージをもちつつ、仕上がって放映されるまで各個のスタッフは自分がやってる事がよく判らないという体制がありますよね。そういう場合っていうのは、監督の才能とエネルギーが膨大にあって、その求心力でもたせている。ひとつは結果が世間的には出てるっていう事でもってその期間体制が維持されるっていうのもある。しかし、結果が必ずしもよくないのに見えない作業を強いられる体制っていうのは辛いですよね」
岩崎「うん、そうだね」
高橋「僕などはラッシュ試写の時に全スタッフが自分のやった仕事と全体とのかかわりが見えるっていう体制のほうが、監督していく上ではすごく楽ですね。というのは自分が責任とるべき部分をみんなと共有する訳ですから、負担が少なくなるでしょ。‥当初、サンライズのスケジュールっていうのは良かったですよね」
岩崎「スケジュールは良かったですよ。会社創りたての頃は、お金が無かったから・・・・虫プロ時代の惨状が頭にこびりついてるから、結局予算の中で押さえて、ちゃんとお金払わなきゃいけない。『これをやったら大変! 虫プロと同じ事になっちゃう』と・・・・。とりあえず正常に経営をやっていかないと駄目だっていう事。何がなんでも予定通り、『予定通り!! 予定通り!!』と口を酸っぱくして言ってても遅れるんだから。そうやっていかないとまず余計なお金がかかる。スケジュールがずれたらそれだけ出費がかさむからね」
高橋「スケジュールを守る秘訣のような、武器のようなものはありました?」

何か仕掛けていかないと
スケジュールを元に戻すなんて事はできない

岩崎「巻物」
高橋「まきもの?!」
岩崎「僕は自分で作ったスケジュール表のことを『巻物』って言ってるんだけどね。それを、じーっと見ながら考え考え赤とか青とか色鉛筆で塗っていると、『えーっ! 何これって!?』いうのが見えてくる時があるわけ。こりゃどうするかなって、スケジュールを立て直さないと作品の質も云々も何も言っていられないわけだよね。もちろんお金もね。だから巻物をやっていたわけ。やっているとね、結局何か仕掛けていかないとスケジュールを元に戻すなんて事はできないということが見えて来るんですよ」
高橋「巻物かあ・・進行の命はカット表だったけど、シリーズ全体の奴ですね」
岩崎「そう。・・・・予算的にもうまくいった。あの人をここに使ってて良かったなって、スケジュールもなんとかギリギリにいったなと思うと、『やっぱりあのやり方でよかったんだ』と、まあ判ってもらえるか判ってもらえないかはわからない、些細な部分なんだけど、『よし、次はちょっとここをやり方変えてみよう』っていう部分が制作やっていて、そういう部分が喜びだったんじゃないのかねぇ」
高橋「作品を作る上で大枠のグランドデザインみたいなものを自分で作って配置をして、どのくらい現実的には達成できるかって云う。自分が手を打っていくと言う、そこに喜びがあるわけですね」
岩崎「そうそうそうそう! 瓢箪から駒みたいなことなんだけど、サンライズの初期ちょっと過ぎた頃からスケジュールもめちゃめちゃになってきて苦しかった時代、自分でもうまくいったなぁっていう思い出話をすると・・‥。
 スタジオの中のメインメンバーだけで本来モノが作れればいいんだけど、どうしても量的な問題が出てくる。特に作画関係以降になってくると。原画とか動画とか・・・・。だから海外を使うっていう事があったんだけれど。大変でした・・・・。飛行機代は掛かるし、滞在費だってかかるし、計算すると・・・・何十円かは国内よりも安い値段にしなきゃいけない。スタッフからしてみれば外に出すって言うことはあんまり楽しい事ではない。海外から持って帰っても、直しも結構手間かかるしね。あの当時は、4000枚以上持っていかなければ、1回飛んだメリットがない。日本の単価より高くなるだけなんです。
 ・・・・とすると、何日後までに何千枚を持っていかなきゃ駄目なんだっていう指示を出しますよね。そうするとね、どういう事が起こるかって云うと、それまでチンタラチンタラ動いてた人達が、制作から、動画チェック、作画監督、担当演出と言ういろんな人達がね、4000枚の原画なら原画、動画なら動画を作らなきゃいけないってんで動き出すんですね。制作は今までにまして監督の所だとか担当演出だとか作画監督の所をつつきはじめるわけです。必要以上に(笑)。面白いことに、当然、国内のアニメーターたちにも仕事を作らにゃならん訳です。という事は、倍の量を常に満たしていかなければならない。今までは1のものであったのが、今度は2の分量を作り出さなきゃいけない・・・・っていう事になってくると、自然と今まで遅れ気味になってたスケジュールがどんどんどんどん動きが良くなっていって、外へ出すという目的のために国内の人のスケジュールが良くなってくる(笑)。
 それを意図した訳じゃないんだけど結果的にスケジュールが前向きにあがっていって、かといって質が落ちているかっていうと絶対そんな事は無いんですねこれは変なもんでね。ちゃんと押さえる。みんなね、監督にしても誰にしてもね、ぜんぶ担当の演出にしても作画監督にしても、全部押さえていますよポイントはね」

 実を言えばここが岩崎さんの凄いところで、自然発生的にスケジュールがよくなるなんてことはないのであって、普通はここでスケジュールを間に合わせるために単価を上げて緊急避難をし、それが繰り返されることによって予算が大幅に狂ってくるのが落ちなのである。欠陥を見抜き、対策を考え、実行する。言うのは簡単だけど、これがなかなか出来ないんだって、普通には。

全てに関して先を読めっていう
血になった体験を記憶している

高橋「ところで、お聞きしたいのは今のサンライズの制作ですが・・・・制作と言っても、プロデューサーから進行さんまでいるわけですけど、あの当時の制作の人たちよりも“仕事を楽しんでいる”という感じがありますか?」
岩崎「・・・・」
高橋「先ほどの、海外に外注を出すっていう事が予想外に社内外まで活性化したというお話ですが、いずれにしても方針を作って努力しない限りは、喜びも反省もないって言うか・・・・。最近僕自身もね、その自分でもって着地点を想定しながらする仕事って言うのが少なくなってきて、達成感とか反省点とかがずい分とぼやけてきている」
岩崎「(笑)」
高橋「まぁ、僕が脇で見ていた限りにおいては岩崎さんが一番過酷に労働時間が長くて、あのハードな毎日に耐えられたのは制作としての何か特別な“喜び”があったのではと思ってですね。その“喜び”にあたるものがサンライズの中で後輩の制作のスタッフに残されているのかどうかっていう事が知りたいんですが」
岩崎「それはね、なかなか難しいことでね。僕は、アニメ界に入ったとたんにガーンとやられたことがいつまでも頭に残ってるんですよ。[ジャングル大帝]の時制作進行だったんだけど、ある日の制作会議で、打ち合わせだって云うのに絵コンテが上がってないわけですよ、1枚もあがってない・・・・」
高橋「作画に入れない。つまりスタッフに空きが出る状況ですね」
岩崎「その時にアシスタント・プロデューサーのもりまさき氏が『別にコンテが全部無くたっていいんだ。明日作画に入る分だけでいいから描いてもらえ!』って。ショックだった。何も全部揃ってなくたって仕事には入れるという現実認識。『おまえらバカか』って言われましたよ(笑)。『とりあえず明後日の分もまた描いてもらえ』って。コンテはツギハギになっちゃうかもしれないけど、全てに関して1つ先はむろん2つ3つ位まで先は読めっていう、血になった体験を記憶している」

 同じようなことは今でも繰り返されているんだろうと思うのであるが、感じるか感じないか、感じたらどうするか、それが問題なんだよなあ。

虫プロが反面教師
健全経営にしていきたい

高橋「岩崎さんは虫プロ以来制作っていう事でずーっとやってきて、・・・・もう制作はいいや、自分ももう企画やるよ営業やるよっていうようなことは無かったですか?」
岩崎「それは無かったね。というのは、山浦さんが立てる企画、話している企画内容を聞くと、僕にはそんな発想は出来ない(笑)営業もね伊藤ちゃんを横で見ているし」

 企画における山浦氏の人の目を気にしないというか、衒いのない言動や発想は定評のあるところである。また仄聞するところによれば、サンライズの営業戦略は大胆にして緻密、交渉ごとにおいてヨイショ不要と、上げた実績も含めこれもまた伊藤営業の面目は躍如足るものがある。

高橋「山浦さんは途中でカメラマンに戻ろうかっていう揺らぎを見せた時があるらしいんですが。僕の記憶の中で、岩崎さんに東映動画から来ないかっていう話が来たのを聞いたことがあるんです。東映動画は大プロダクションじゃないですか。制作管理の強い会社でもある。腕の奮いようもある。なんで行かなかったんですか?」
岩崎「うーん、やっぱりね、もう出来あがっちゃってるじゃないですか東映動画さんって。それとやっぱり、後ろだてとしては東映株式会社がドンと控えているっていうみたいな所でどこまでできるかって言ったらね・・・・。面白味がないというか・・・・それと自分達が苦労してやって来たという魅力以上ではなかったっていう事ですかね」
高橋「自分たちの作った場所(サンライズ)の中で四苦八苦する方がやりがいがあると・・・・」
岩崎「やりがいがあるっていうことと、それから東映動画さんの場合、当時は原作モノが多かった。オリジナルの強み。常にオリジナルを生み出していくっていう事は、著作権を持つっていう事に繋がっていく訳だし・・・・。原作ものっていうものはだいたいのことが読めちゃう、原作読めばね・・・・」

 ま、確かに原作ものは作品がすでにあるのだし、あらゆるヨミが出来易いのが原作モノをやるメリットであるわけだ。

岩崎「だから何が飛び出すかわからないって云う世界でものを作れるっていう方がね・・・・。それに最初から乗っかった船だから・・・・、最初から漕いで来た道ですしね」
高橋「サンライズは、“オリジナルを中心にやっていくんだ”って云う、会社の方針は創業者のお互いの中にあったんですか?」
岩崎「そりゃあ、ありました。あと、スタッフを路頭に迷わさないでおきたいなと。自分達がそういう目にあってるからね、虫プロという反面教師でね。せめて給料はきちんと払えるようにしていきたい。健全経営にしていきたい。作ってもいない作品を売って、みんなで食べちゃったという、『これどうやって返すべぇ』っていう経営は経営じゃないと‥」
高橋「あの、虫プロは経済的な事ではある破綻を見たんですけども、それを見てきた人たちの知恵というのがサンライズには生きているし、反面教師というか先程のまさに反面教師なんですけど。ただあの、虫プロというのは手塚先生が主宰者で手塚先生が経営者で手塚先生の原作を主に扱ったんですけれども、ひとり手塚先生がぐいぐい引っ張っていくワンマン経営者っていうイメージは全然なかったですよね。サンライズも不思議なことに、こう誰かがグイグイ引っ張っていく、中心人物1人の会社って云うイメージがないですよね」
岩崎「無い。必ずみんなで集まっていました。10人も20人もいるといろんな意見も出てくるだろうけど、まあ3、4人だからね。問題が提起されても、出来ないものは出来ないんですよ。『無理だよ、やっちゃったら別の意味でパンクしちゃう』っていう事がお互い聞いてくれて、やめとこうと・・・・。別の方法論で行こうってね。ワンマンじゃないよね」

引退は遅いくらいだと思った。
もうちょっと早めにバトンタッチが
出来ればよかったな

高橋「サンライズは一応の節目としては、創業者が8年前に引退した。引退という年齢的なことで云うと、昔でいうとごく当たり前の年齢での引退なんですよね。ところが、まぁプロダクションというのは特殊なところで、年齢がきたから引退っていうようなところでもないじゃないですか。あの時期の引退っていうのは、岩崎さんの中ではよかったんですか? それともホントはまだやりたかった、とか?」
岩崎「僕はね、遅いくらいだと思った。もうちょっと早めにね、あの時55、6歳だったかな。あと何年か前に本当はそうなっていたかったなぁ、やめてバトンタッチができるような状況に出来ればよかったなぁって思いましたね」
高橋「詳しくというよりは明確に聞きたいんですけど、要するにそれは例えば55、6歳だとして、もうちょっと前、仮に50歳の時として、そのやめるっていうのは何からやめる? 例えば経営の一角をやめる、制作の中心をやめる、それともアニメーションっていう業界から離れたい?」
岩崎「アニメーションの業界からは別に‥、それでしか食べてきていないから、他に仕事も知らないわけで、あんまりアニメーションの業界から完全に足を洗っちゃおうっていう気は別に無かったけれども、要するにまぁ自分の人生観みたいなものの中でも年齢的な体力の衰え、あるいはそれから発想、もう1つは局のプロデューサー。昨日今日学校を出ましたっていうような若い人と話が合わないわけ。こりゃいかんなっていう所とかね。まあそういう事と、もう30数年か、それの3倍くらい働いたという90歳くらいの疲労度だという部分。虫プロで1回倒れて1ヶ月ぐらい休んだけれども、それが初めて。そっからまたぶっ続けでしょ。なんか、人の3倍働いたような気分になっていましたね。
 制作っていうのは、逃げ場が無い。特に企画とか営業とかなんとかの部分と違ってね、お尻はきちんと合わせていかないといけない。どうしようがなにしようがね。ある程度成績も出さないといけないという精神的な部分に関してもね。そういう事で言うと自分でもよくやってきたなぁ、よくぶっ倒れなかったなぁって、精神的なプレッシャーなんて猛烈でしたよ。おかげでいまだにこの右手、字を書く方の手が震えて治らない。忙しい時には病院にも行ってなくって、毎日震える。こりゃいけねーっていって医者いって調べてもらったけど、結局わからずじまいなんだ。まあどうやらそういうプレッシャーだろうという・・・・」

 当時の岩崎さんの立場で逃れられぬのが慶弔の場への出席である。これが多い。なんといっても全スタッフに関係があるのだから。慶弔の場には必ず記帳と言う“関門”があり、震える手先が本当にもどかしかった、と、そう言えば聞いたことがあるなあ。

高橋「という事は、引退時期みたいなことでいうと、良かったという事の方が大きいと」
岩崎「そうですね」
高橋「実際に引退してみてからはどうですか? 今までそんなに働いていたのがポコっとなくなるわけじゃないですか」
岩崎「ああ、でも日常的なことはなくなるわけじゃあないですね。まぁ別の事でまた忙しくなってね。それはそれでそのあの、いろんなアクシデントがおこっちゃったりしたから、そりゃ要するに女房が亡くなったりとか、僕の場合は結構いろんなものが積み重なってるから、なんかね。家庭の主婦もやんなきゃなんないという余計なことも入ってきて」
高橋「じゃあ、ポカッとした喪失感みたいなものは味わわないで・・・・」
岩崎「味わわない、ぜんぜん。結構忙しいんです(笑)。あいかわらず貧乏性なところもあるから。池袋に会社(エムイーエス)があるっていうのも、会社に行かなきゃならんという使命感(笑)を自分で作ってる(笑)もうボケ防止っていうのもあるから。それはそれで僕はバトンタッチしてよかったと思ってますよ」

サンライズの成功は
ハングリーだったから?

高橋「どうなんですかね、これも聞きたいんですけど、その頃やっぱりいくつもの同じような会社がそれぞれ夢持って創業されたじゃないですか。まあいろんな結論をもっていると思うんですけど、サンライズは非常に成功した会社だと言える、客観的に見てね。で、成功の要因みたいなものを、あえて言うとすればどんなとこなんでしょうか」
岩崎「やっぱり、ハングリーだったからじゃないんですかね? 常にね。企画にしても1本1本、今年はこれで行けたから、次もって柳の下の泥鰌を狙う時もあるでしょうし、そうでないものも出せたのはすべてがハングリーだったからだろうと思うんですよ。常に危機的状況に置いてきた。そりゃ、収入だけ取ろうと思えばそういう立場にもあったからやろうと思えばできたけど、そんなには給料とらなかった。ほら、危機感っていったら3年5年っていう周期で起きてくるものがあるじゃない。次はどうしようどうしようって」
高橋「僕は、岩崎さんが言っている事は非常によくわかるような気がするんですけど、ハングリーさってその、昨今はぼやけてますよね」
岩崎「それはあるかもしれない」
高橋「僕はその・・・・人間が生きていくことは最終的にどこかでもって幸福論に結びつくって言う想いがあります。何を頼りにしてね、日常を充実させていくか、何処に着地点を求めるか、と」
岩崎「それはねぇ」
高橋「昨今アニメーションそのものに、あらゆる意味で開拓の余地が少なくなっているっていうような意見もある。また、仕事が切れるという状況でもないわけですよ。仕事をやろうと思ったら無いこともない。その、満たされてはいなくても飢えるという状況でもないっていう。こういう中でもって、充実感を感じ取るっていうのは相当難しいなぁと思いますね。サンライズそのものは今まだ業績が伸びているけども、今後この組織体の中でもって自分達が満たされる、そういう瞬間を持つって言うのはなかなか難しいとおもいますね。で、それに関してはどうですか、何か提言みたいなものはありますか」
岩崎「・・・・・・・・」

 その表情には逡巡が感じられた。逡巡の意味は?

高橋「まあ勝手にやってくれと。それはやっぱりそれぞれの問題だと」
岩崎「うーんそれはそういう意味ではねぇ、こりゃもう難しいですよねえ」

 岩崎さんの後輩への提言のようなことはついに聞くことは出来なかった。が、話はその後も続き、そしてその話はまた[巻物]に戻っていった。

岩崎「でもさ、これズレるからこれが、巻物が必要なんであってね。しょっちゅうズレてますよスケジュールってのは、ケシゴムで真っ黒けになって、机にゴミ落として、なんでこんなになるんだっていう、そういう自己嫌悪に陥ることがあるのね。あれほどいったのにどうしてこうなっちゃうんだとかね、俺の読みでは絶対これ1週間遅れてくるから1週間空いたところから次の話を入れようとか考えて線引いているのにそれにも増して遅れてくる。全然読みが違うなって言うね自分の甘さ加減に唖然とすることもあるんだけど、だから余計この巻物が必要で、『うわー! これでいっちゃったら正月誰も休めないじゃないか!?』って、まあ、誰よりもまず自分が休みたいからこれじゃだめだっていうね。最終的に必要だと思ったら色塗りだけじゃなくて完成しなくっても線だけでもいいんだけども、なんかねぇ今はパソコンでぱっぱぱっぱとできるかもしれないけど、線いれるだけじゃなくて、頭の中で、じゃあ次はどうするのかって対策がね。次の次、来年はどうするのか、さ来年はどうするのかっていう長期のことにも関わってくるっていうと。それとスタッフの変遷のあれが分かるわけ(笑)。あっこの班はこうなんだからここにおいとこ、別の所もう1班組んでいかなきゃって言う・・・・」

 岩崎さんの[巻物]への思いは尽きないようだ。そしてそこに私は岩崎さんの“熱い制作魂”のようなものを感じたのである。そして最後に岩崎さんはつぶやいたのである。

岩崎「・・・・まぁ、もう、使い道が無いんでしょうねえ。巻物はねぇ」

 次週は…

 

【予告】

次回は、牛乳瓶の底のような分厚い眼鏡がトレードマークのサンライズのご隠居‥。虫プロ時代から資料室一筋のサンライズ元資料室長:飯塚正夫氏の登場!! 企画秘話から創業者たちの横顔を語ってもらった‥。乞うご期待!

【リョウスケ脚注】
南部屋

南部屋西武新宿線上井草駅南口を降りてバス通りを横切ってすぐ、レンタカーのモータープールの隣の隣の隣、昔のサンライズ本社の光洋ビルの向かいにある居酒屋である。ここの名物は実は[水団]。すいとんと読む。小麦粉を解いて適当にちぎって野菜汁やそれに類したものに入れて煮込んだものであるが、年配の人には代用食の記憶が強いかもしれないが、酒の最後にこれが存外にいけます。お試しあれ。

井上君

フルネームは[井上幸一]。前回ご紹介した[沼本氏]とは反対のケースでメーカーの確か[トミー]からスカウトされサンライズに来た。90キロはゆうに越える巨漢。なのに身体のあらゆるところに色々なグッズ、例えばカメラ、ナイフ、数種類の電子機器、そのサポート機器、懐中電灯など等、これに通常のビジネス用ステーショナリー、資料書類類、数冊のハードカバーおよび文庫類など等、それにそれに携帯食料数日分……を携行している。当然膝に負担がきてみしみしいっているのにお酒好きビール好きプリン体好きの痛風持ち。ドラえもんを目指すのも楽じゃなさそうなのであるが……企画の総帥山浦さんの愛弟子であり、今はその跡を襲いサンライズ企画室々長である。そのほか色々と紹介したい男なのであるが、それはまたの機会に。

クチビルルン

唇、すなわちクチビルの強調表現で、極々限られた集団のなかだけで通用している。パワフルかつ強引なおしゃべり屋を揶揄するときに用いられる。

もりまさき氏

本名は[森 柾]と書く。私が虫プロ入社したてのヒヨッコ時代、制作進行のイロハから精神までを叩き込まれた、チョッと煙ったい先輩である。眼鏡の奥の鋭い目と甲高い声が懐かしく思い出される。制作の7つ道具、鉛筆、色鉛筆、ボールペン、サインペン、スケール、鋏、カッターナイフ、セロテープなど等を手作りのホルダーに収めカウボーイよろしく腰に巻いてキビキビとスキなくよく働いておりました。当時の虫プロはアニメーターの天下でしたがさすがに一目置かれた存在でありました。私もチョッと働き過ぎの生真面目堅物の苦手な先輩と思っていたら、ほどなく[峠あかね]の名で漫画評論を始め『へえ~!? こんなことも出来るんだ!』とビックらこいたものですが、その後[真崎守]の名で漫画は描くわ、アニメの演出はやるわ、シナリオは書くわと八面六臂の活躍でまたまたびっくり、人は見かけによらないものという言葉を噛締めたものである。。

 


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