【第31回】高橋良輔監督旅行記「飛行機雲に誘われて」

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飛行機雲に誘われて……その31

 ミャンマーは仏教国だとは先週も言ったが、仏教にもいろいろあって、あたしらの浅い知識でもミャンマーは上座部仏教だということを知っている。では同じ仏教国の日本はどうかというと、日本はおおよそ大乗仏教である。どう違うか。深いところは語らない。というより語れないハハハ。だが旅行記として上座部仏教国と大乗仏教国の違いは簡単に語れる。
 ミャンマーでは至る所に仏教施設がある。まあ大体がパゴダと言われるものが鎮座しているが、そのパゴダの周辺にはお釈迦様の像がとにかく良くみられる、というよりお釈迦様だらけ、その他の仏さまはいらっしゃらない。まれに梵天の像がある。あとはもうお釈迦様一点張り。日本の寺々でおなじみの如来も菩薩も観音もいない。ここが外見に現れている上座部仏教国と大乗仏教国の違いだ。
 なぜお釈迦様だけなのか、ここが問題だ。上座部仏教の理解もいろいろあるが、あたしらが理解したのは、自分で修業して悟りなさい、そうでないと本当には救われないよ。お釈迦さまもそうしたのだよ。というあたりだろうか。
 では大乗仏教はというと、そんなぁ一般人はお釈迦様のように修行できないよ、修業したとしても悟れるとは限らない、それじゃあ一般人は救われないことになるのぉ、それって心が狭くない。仏教はもっと人間の味方はずだよ、ってところだろうか。
 まあ曖昧にしていい加減なあたしらは、どちらの言い分も一理ありそうである。ちょっと話が難しくなってきたので一服。

▲菩提樹

 これはヤンゴンの観光ポイントランクナンバーワンのシュエダゴォン・バヤーの中にある菩提樹である。御存じ菩提樹とはお釈迦様がその下で悟りを開かれたというあの菩提樹である。その菩提樹から枝分けをしてもらったのがこの菩提樹だそうである。もっともインドのブッダガヤにある本家本元の菩提樹もお釈迦様の時代のものではなく、その昔枝分かれした樹からまた先祖返りのように枝分けしてもらって現代にいたっているらしいのだが、何にしても命は連綿と繋がっているらしい。つまりはありがたいのである。

 ちょっと話は戻ります。ミャンマーではお釈迦様のほかに梵天の像がたまたまあると言いましたね、ここが実はミソなのではないかとあたしら睨んでいる。どういう事か。かの地では梵天はお釈迦様より古くから存在しているエライ神様なのである。ある時、悟りを開いたお釈迦様と梵天がこんな話をしたらしいのである。

「お釈迦様よー。あんたが悟ったその有り難い悟りを哀れな人間に教えてやってくれんかなあ」
「いやー、この悟りってものは難しくっていくら話しても一般人には分からない。まあ言ってみれば教えようがない、自分で悟るしかしょうがないんだなあ」
「そうかもしれんが、そこを何とかならんかな」
「いやあー、無理無理」

 てなやり取りが何回も繰り返されたらしいのである。結果、梵天の熱心さに根負けしたのか、

「そんじゃまあ…やってみんべえか」

 とお釈迦様が折れて始めたのが"教え"の始まりと言われている。
 で、話をはしょりますが、ミャンマーは修業大事派ですからお坊様になるのは大切なこと、よってそのお坊さんも大切にするという、まあそうゆうお国柄だからいたるところにお坊様がいます。

▲尼さん

 この集合写真は若いお坊さんです。そんなの見りゃあ分かるって、その通りです。ですがこれ実は尼さんです。つまり女性! 尼さんの集団! ハハハハハ、日本ではちょっとないでしょう。

 で、今回はここまで、次は古都バガンのパゴダ群を案内します。

 


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