オリオンレイン【第1回】

第1話「絶佳ぜっかの騎士」前編

 華やかな銀の花が支える美しい都。その片隅に、前兆は確かにありました。
 そして、彼らはその日を迎えたのです。
 美しい花びらは、あらゆるものを飲み込む銀の波に。
 彫刻のように壁を飾った銀の蔓は、都市を破壊する凶暴な鞭に。
 ――あれは災厄の薔薇だ。この悲劇を繰り返さないために、あの花を封じなくては。
 けれど、その花がいつからその星に咲いていたのか、誰も知りません。
 ――騎士でさえ歯が立たない。もう無理だ。この星は薔薇に食われてしまう。

「……行ってください。花は私が抑えます」

 まだ花の形を保つ銀の花園で、花守の娘が言いました。

「必ず戻ります。私たちは、星の騎士ですから」

 居並ぶ7人の騎士たちは声に無念を滲ませて、深く深く頭を下げました。
 やがて騎士たちは扉の向こうに消え、その星は銀の波に覆われて、そして――

 

 ――子どもの頃、星を見たくて、夜中に田舎の家を抜け出した。
 空いっぱいに広がる星は期待以上で、浮かれた僕は近くの丘に向かって走り出す。
近道に選んだ雑木林は深くは無かったけど、子どもが入ってはいけない場所だと教えられていた。
 だから一気に駆け抜けるつもりだったのに、どうしてか、足を止めたんだ。
 そして、鬱蒼と茂った林の中で、『彼』を見た。
 ろくな明かりもない、手入れもされていない林の中ではおよそ場違いな、けれど夜の闇には相応しい黒いスーツを着て、木の影の一部になったように静かに立つ人を。
 声をかけてみようと思った理由は覚えてない。
 見えているのに、とても遠い場所にあるような彼の空気に、触れてみたかったのかもしれない。

「……何をしてるの?」
「星を見に来たんだ」

 こちらに背を向けたまま、彼は淡々と会話を返してきた。
 答えのあったことに勇気づけられて、僕は問いを重ねる。

「星?」
「遠い星だ。君たちの目には、まだ見えない」
「見えない星……」

 僕はどうしてか、その言葉を拒絶だと感じた。
 次にとるべき行動がわからず、繋ぐ言葉も見つからず、僕は空を見る。
 重なり合う枝が、星の光を誤魔化すように揺れていた。

「子どもがこんな時間に出歩くのは感心しないな」

 歩み寄りを見せたのは彼の方だった。
 視線は空に向けられたままだったから、もしかしたら、邪魔者を追い払いたかっただけかもしれない。

「昼間、会った奴が、この時間が一番よく見えるって言ってたんだよ」

 不機嫌に反論して歩き出す。ここからじゃ空が良く見えない。
 早く丘に行きたかった。

「君は、星が好きかい?」

 不意の問いかけに、僕は彼を振り返る。
 初めて視線が合った。彼はいつの間にか僕を見ていた。

「……んー、多分?」

 星が良く見えると言われて、夜中に部屋を抜け出すくらいには好きかな、と考えていたら、彼が問いを重ねた。

「この星も?」
「この星……地球? 好きとか嫌いとか、あんまり考えたことないけど……まあ、嫌いじゃないと思うよ」

 人間は今のところ地球でしか暮らせないわけだから、嫌ってもしょうがない。

「そうか」

 彼は黙り込んだ。
 遠くで聞き覚えのある声がする。家を抜け出したのがばれたのかもしれない。
 そわそわし始めた僕に、彼の白い手袋をつけた腕が伸ばされる。

「君にこれをあげよう」

 あげると言われて、思わず出した手のひらに、星のような銀の光が落ちた。
 それは見たことのない文字と薔薇の刻まれた、1枚のコインだ。
 小遣いでもらう小銭とは全然違う輝きが珍しくて、星明かりに照らすように体を動かす。

「もし君が、自分の星を守りたいと思うときが来たら――」

 ゲームか漫画みたいな言い回しに、僕は慌てて振り向いた。
 重なる木影が作る深い闇の中、彼の白い手だけが見える。翻された白い指は、僕の手のコインを示して消えた。

「そのコインを、使うといい」

 言葉と同時に、林の中を風が抜ける。
 目を開けたときには、彼の影は、もうどこにもなかった。

 

「ふーん。それで大江は、このコインの元の持ち主をずっと探してるってわけ」

 大江良太おおえりょうたの話を聞き終えた秋島由美香あきしまゆみかは、件のコインを検分するように見つめてから、親指で宙に弾いた。澄んだ高い音が空間を渡る。

「ちょ、先輩! 雑に扱わないで下さいよ!」

 慌てて手を伸ばした良太の目の前で、由美香がコインを手に掴む。

「大丈夫よ。落としたりしないから。それで? このコインの元の持ち主とオリオン、どんな関係なの?」
「いや……わからない……ですけど」

 途端に心もとなくなった良太の返事に、由美香は呆れた顔で机の上にコインを置いた。

「じゃあ駄目」
「でも! 似てるんです。神出鬼没なトコとか、スーツ着てるトコとか」

 『オリオン』とは、この街の天文植物園で発見された銀色の薔薇を刈り取ったことで、一躍、世間を騒がせた、正体不明の花荒らしだ。名前の由来は分からない。
 彼らのことが大きくニュースに取り上げられたのは、その一度だけだが、ネットの噂などを拾うと、それ以前から現在に至るまで、銀の薔薇を刈りに現れていることがわかった。
 そもそも『銀色の薔薇』という植物自体、存在するのか怪しいものだったので、オリオン共々都市伝説の類に思われていたのだが、天文植物園が蕾の状態の銀色の薔薇の写真をwebに掲載したことと、防犯カメラに一瞬だけ映ったスーツ姿の人影が、双方の存在を実証した。
 スーツ姿の誰かと、銀の薔薇――スーツ姿の彼と、銀の薔薇が刻まれたコイン。
 ただの偶然かもしれない。けれど、良太は彼らが『彼』を知っているような気がした。

「いい? 我が乃木校新聞部の次の特集は、教会裏の洋館よ」

 由美香は眼鏡のつるを押さえながら宣言して、持参していたファイルを開く。

「空き家という話なのに、明かりが見える。館の門をくぐって行ったのに出てこない人がいる。裏庭に忍び込んだら、突然背後に現れたイケメンに『ここに来たらいけないよ』と注意されたけど、次の瞬間にはイケメンが消えてしまった――最後のは良くわからないわね。教会の神父にでも見つかったんじゃないの、これ」
「それ言ったら、全部教会の神父って可能性があるんじゃないですか? 管理してるとか」

 そう考えれば、そんなに不思議でも不気味でもない話だ。特集を組むほどの記事になるとは思えない。

「それね、調べてみたけど、別に教会の所有地というわけでもないのよ。だから、教会の人間がそんなに頻繁に出入りしていると、それはそれで怪しいってことになるの。あの館が空き家になったのは十年くらい前みたいだけど、誰が住んでいて、いつどうして空き家になったのか、その辺りの経緯を知ってる人もいないのよね」
「じゃあその、前の住人についてとか、そういうのを調べればいいんですか?」

 なんとなく感じる嫌な予感を打ち消すように、良太は前向きな質問をする。

「あ、それはもう、ムラたちに頼んだ」
「村井先輩に」

 さらりと言われて、良太は自分に分担される役割を悟った。
 追い打ちをかけるように、由美香がそれを言葉にする。

「大江良太。君の仕事は、『館に出入りしてる人間の確認』、つまり、張り込みよ。なんたって、反射神経も運動神経もうちの部で随一だし。これはもう、適材適所でしょ」

 やばそうな奴が出入りしてたら、写真とか撮らずに逃げちゃっていいから……と続ける由美香の声を聴きながら、良太はがっくりと肩を落とした。

 

 乃木学園の新聞部が、情報量だけなら国立図書館並みだと聞いて、よく考えずに入部したのが運の尽きだった。
 ネットの噂より身近な出来事を優先する方針を貫くこの部は、取り上げる話題も生徒からの投書が中心だ。
 現状『オリオン』には多くの生徒が関心を向けるほどの話題性は無い。
 せめて『オリオン』と呼ばれているのが『彼』かどうかだけでも知りたいところだが。

(コインなんかで、どうやって星を守るんだ。そもそも、星を守るってどういうことなんだ)

 あの後、雑木林で祖母に見つかった良太は叱られたが、大人たちの説教なんて『彼』に言われた言葉の前では苦にもならなかった。
 残された銀のコインを手に、自分はいつかこの星を守るんだと、良太は子どもなりに色々と努力をしたのだ。
 おかげで昔から運動部の勧誘が絶えたことがない。
 彼が新聞部に入部したと知ったとき、運動部の輩が校内に響かせた雄々しい阿鼻叫喚は、連日続いた怨嗟のような投書と併せて校内新聞で特集された。

「それにあの洋館の前の通りって、裏門の駐輪場に近いから進学組がよく移動に使うじゃない。得体のしれない感じがして不安になるって投書もあったのよ。三年はこれからプレッシャーが増えてくる時期だし、後輩として不安要素は軽減してあげたいなって。そう思わない?」
「……はあ」

 良太は曖昧な返事をこぼす。
 どうも、由美香は洋館を調べる理由を延々と話していたようだが、途中から殆ど聞いていなかった。
 気乗りしない声をどう思ったのか、由美香は組んでいた腕を解いてため息を落とす。
 それから、切り札とばかり言葉を足した。

「この件がちゃんと記事になったら、次はオリオンを特集するから」
「――本当ですか?」

 突然の話に、良太が真顔になる。
 その彼の前に、一枚のプリントが差し出された。
 印刷されているのは、灰色の薔薇の葉。

「先輩、これって」
「園芸部の温室で見つかったそうよ。噂が本当なら、オリオンは蕾がつくまでは現れないんでしょ。この薔薇が銀色の蕾をつけるまでに、洋館の記事をまとめないとね」
「はい! 今夜から全力で張り込みます!」
「あ、ちょ、全力って言っても学業優先よ。何かあったら怒られるのは部長の私なんだから、程々にしてよねっ」

 水を得た魚のように部室を飛び出していく唯一の後輩に、由美香は慌てて声を投げた。

 

 その洋館は、長く空き家になっていると言われる割には、それほど荒れていなかった。
 裏庭だっただろう場所から好き放題に広がった緑と、隣接する教会の影が印象を暗くしているだけで、廃墟にありがちな、ガラスが割られているといったようなこともない。

(やっぱり、誰かが定期的に手入れに来てるんじゃないかなあ……でも)

 良太は手にしたライトを足元に向ける。薄闇の中、生い茂る草のつやつやした様子が照らし出された。
 定期的に人が来ているのだとしたら、この歪むことを知らない緑の深さは不自然だ。
 唯一、裏庭に続く弱くなぎ倒したような跡は、由美香の話にあった生徒のものだろうが、その他の緑はどこにでも均一に――館の扉の前にも伸び伸びと広がっていた。

(人が出入りしてるようには見えないけど)

 辺りを一周した良太は、扉の前まで来て、改めてその建物を見上げる。
 手にしたライトの光が流れて、何かが光った。

(なんだ? 反射? ――鏡?)

 一階の、端のあたりだ。
 良太は迷う。
 彼の役割は、この館に出入りする人間がいるかどうか見張ることだ。
 そして、既に確認したように、周囲の状況からは、ここに人の出入りがあると思えない。
 特に収穫は無い、ということになる。

(ここでポイントを稼いだ方が、次の特集で好きに動けるよな……)

 彼はライトを消すと、館の裏へ回った。

(お邪魔しまーす)

 心の中で呟いて、良太は洋館の床を踏む。
 それから、入り込むのに使った窓へと頭を下げた。
 窓ガラスは鍵の周りだけ綺麗に切り抜かれている。
 薔薇のコインがそれを可能にした。

(本当、このコイン、なんなんだろうな)

 このコインの縁が、角度によっては割と鋭利だと知ったのは随分前のことだ。
 ガラスを切ると言えばダイヤだが、まさかダイヤでできたコインとも思えない。そもそも銀色のダイヤなんて聞いたことがなかった。

「確か、こっちの方……」

 館の中は、外から眺めていたときより広く感じる。
 それは、長く空き家にされているとは思えない静謐せいひつな空間だった。

「窓に近い場所は少し荒れた感じになってるけど、中に入ると埃ひとつないとか……実は誰か住んでるんじゃないか?」

 まるで窓際だけ空き家に見せているようだ。でも、なんのために?

「うわっ」

 居間らしき部屋を抜けた瞬間、人影を見て、彼は思わず声をあげる。
 リン、と固い音がした。

(あ、コイン……)

 銀のコインは人影に向かって転がっていく。相手は動かない。
 良太はおそるおそる視線を上げた。

「……鏡」

 少し古ぼけた大きなそれは、闇の中の影のように、良太の姿を写していた。
 離れた位置にある窓から、薄く入る街の明かりにぼんやりと照らされているのだと気が付いて、良太は肩の力を抜いた。

「さっきの反射、これか」

 結局、誰もいなかったのだ。
 ひと息ついた彼は、コインを拾おうとライトのスイッチを入れた。
 そして、鏡の縁に装飾のように刻まれた文字に気付く。

「……あれ?」

 それはもう、何年も眺め続けた、コインに刻まれている読めない文字の並び。文字列を横断するように走る溝は。

「コインの厚さと同じくらいか?」

 良太は拾い上げたコインをなんとなく溝に嵌めた。
 途端、コインの銀が流れ出すように、刻まれた文字に輝きが走る。

「な、なんだ?」

 溝から文字へ、文字から鏡へ。瞬く間に広がった銀の光が眩しくて、良太は思わず目を閉じた。

 ――第8席、コインを確認しました。

 鈴のような、けれどどこか無機質な声が聞こえた、と思ったときには、目の前の景色が一変していた。
 豪奢に輝くシャンデリア。すわり心地の良さそうなソファセットと、ビリヤード台、紅茶の用意されたテーブル。
 そして、思い思いの場所から突然の侵入者に不審な視線を向ける、3人の青年。

「あれ? ええと……すみません、ここは……」

 状況がわからず呆然とする良太の視界で、壁に背を預けて立っていた一人が動き、床に転がるコインを拾った。

「あ、俺のコイン……」
「お前の?」

 良太の呟きに、青年がコインと良太を見比べる。

「……お前、誰?」

 誰何すいかの声には剣呑な響きが宿っていた。


著者:司月透
イラスト:伊咲ウタ


次回1月27日(金)更新予定


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