オリオンレイン【第34回】
前回のあらすじ
良太は莉央に疑いの目を向けた零から、3席が本来花守の家系であること、けれど次の花守が誕生せず、ベアトリーゼが養女とされた話を聞かされる。それは良太の知らない彼らの星の話だ。かける言葉を見つけられない良太は、零に言われるまま莉央に会うために学園に戻ることになった。だが、その学園に今、この星の薔薇が人の姿をまとって来ていることを彼らは知らなかった。
第17話「君の名前、君の未来」後編
大学部の使う時計校舎の上から、『彼』はその光景を見ていた。
人の姿をして人のように過ごす、この星の核と言える薔薇と、薔薇と名付けられた星エネルギーが世に知られたなら花守として人生を決められてしまうだろう少女の、まるで姉弟のような戯れを。
薔薇は楽しくなっていたらしい。純粋に、園内の人の様子を見ることに夢中になっていた。
――少女が、その問いを投げるまで、
「名前……」
由美香は「おや?」と瞬きをする。
それまで、まるで光や空気と遊ぶように楽しげだった少年の雰囲気が、途切れるように消えてしまったからだ。
彼女はそれまでの流れを思い返して考えるように首を傾げてから、何事もなかったように彼に声をかけた。
「なにか、困らせた?」
「どうして?」
由美香の見る限り、名前を言いたくないという様子ではなかった。
どちらかと言えば忘れ物に気づいたような反応だと思う。――今も。
「君、困ったような顔をしてるから」
「うん……会ってみたかっただけだから、考えてなかった」
「会ってみたかったって……」
自分に、ということだろうか。
由美香は思わず目の前の子どもを見る。小学生くらいだが、初等部の制服は着ていない。
どう見ても学園とは関係がなさそうな少年だ。
(……新聞部の噂って、そんなに広がってるのかしら)
新聞部や自分に関する噂を知らない由美香ではない。
(転入生だとしても、真っ先にうちの新聞部を見学に来るっておかしいし……それに考えてなかったっていうのは)
考えていると、視線を感じる。
「僕の名前、考えてくれる?」
言われて、由美香はいよいよ困惑した。
親に貰った名前が嫌いなのだろうか。それにしては初対面の相手に名前を付けて欲しいというのは妙な話だ。
名前がないというのなら、この国でそれが意味するところは、戸籍が――
(なんて言った? この子、最初に会った時)
――こういう場所に来るのは初めてなんだ。
まさかと思いながら、理性は最悪の想像をする。
他の可能性を考えようとしたとき、自分を呼ぶ声が響いた。
「秋島先輩?」
振り向けば、渡り廊下の端に良太が立っている。
「大江」
見慣れた姿に由美香の肩の力が抜ける。おかしな想像をしたものだ、と思った。
だから彼女は、少年が自分の後ろに隠れたことに気づかなかった。
「ひょっとして、三条先輩を探してるんですか? それなら、華道部の部室にいるらしいって。俺もこれから理事長と行くんで……」
話しながら歩いていた良太が、足を止める。その目が不思議そうに由美香の背後を見た。
「先輩、その子ども、どうしたんですか?」
「なんか迷子みたいなの。転入生なら保護者の人もいらっしゃるかと思って、学務課まで案内しようと思って」
「転入生?」
良太の背後から、もう一人の人物が現れる。
「そんな報告は受けていないよ」
「理事長先生」
最近は見慣れた色の薄い姿に、由美香が軽く頭を下げた。
「誰か勝手に連れて来たんじゃないかな? たまに届けを出さずに身内を連れてくる生徒が」
由美香に向かって進んでいた零の靴が、後ろに跳ねる。
「――薔薇かっ」
硬い声が響くと同時に辺りに仄かなきらめきが広がり、一陣の風がそれを空に溶かした。
斜め下方に向けられていた由美香の視界には黒い色が幕のように下りる。
「……失礼」
低い声が短い言葉を落とした。
「風に――煽られたようだ」
確かに、突風のような一瞬だった。
由美香が顔をあげると、黒いコートを着た男性が、彼女と良太たちの間に立っている。
「ああ、いえ。ありがとうございます……?」
瞬間の出来事を把握しかねながら、由美香は謝辞を口にした。
風と言うなら、目の前の男性は風除けになったということだろう。
けれどこの声はどこかで聞いた声だ。
由美香が記憶を検索していると、良太がするりと会話に入った。
「源さん? なんでここに」
「知り合い?」
由美香の指摘に、良太は自分の迂闊さに気づく。
「あ、ええと」
騎士仲間ですと言うわけにもいかない。
良い説明を考えようとする良太だが、先ほどからどうにも由美香の背後の子どもが気になって、うまい考えがまとまらない。
零は黙秘を貫いている。
反射的にとはいえ蝶を出したことに言及されるのを避けているのかもしれない。
このまま壇の言葉に乗って、風が起こした気象現象で押し通すつもりだろう。
「知り合いというか知ってるというか」
「なんなのよ?」
連続する奇妙な現象がどうにも釈然としない由美香の矛先が、唯一いつも通りの良太に向かう。
引き受けたのは壇だった。
「――莉央が華道部までの案内を頼んだという後輩かな?」
「そうです、そうです」
救いの神とばかり、良太はそのまま応じてしまう。
「案内は不要だと言っておいたんだが」
彼が声を零すたびに、由美香は自分の記憶を探る。
その思考を止めるように、落ち着いた声が割って入った。
「こちらでしたか」
「やあ、莉央」
「あまり勝手に行動されては困ります」
眉間に皺を刻んだ莉央が渡り廊下に入る。
すれ違い様に零が声をかけた。
「三条君、どういうことかな?」
「すみません。急の帰国だったので届けが間に合いませんでした。僕の叔父とその子ども、です。叔父とは面識がおありと伺いましたが」
足を止めて生真面目に答える莉央に視線が集中する。
どこから来たのか淡い色の蝶が一頭、彼らの周りを飛んだ。
「……そうだね。よく知っているよ。でも、子どもがいるとは知らなかったな。いつの間に結婚したんだい?」
「さて。人のことを聞く前に自分はどうなのかな。相変わらず独り身のようだが。時と場所を考えた行動を覚えないから、肝心なところで破談になるんじゃないか?」
銀の薔薇より刺々しい空気に、良太はだんだん逃げ出したくなる。
けれど。
壇と由美香の間でにこにこと成り行きを見ている子どもが、どうしても気になった。
「……三条」
零が苦々しく莉央を呼ぶ。時と場所を選んでこの場を引くことにしたようだ。
「源とは話にならない。後で説明に来るように」
「わかりました」
莉央が頭を下げて、壇と少年の前に立つ。
3人が――おそらくは――華道部の部室に向かう。
そのまま見送る由美香の袖を、少年が引いた。
「お姉さん、僕の名前」
「え?」
由美香は戸惑い、少年と壇とを見比べる。
目の前の男性――ミナモト氏――が少年の保護者なら、特に不仲にも見えないし、少年が名前を欲しがる理由がわからない。
様子を見て取った莉央が補足を入れた。
「秋島さん、その子はここでのニックネームが欲しいんだよ」
「ああ、そういう……」
あだ名が欲しいということならわかる。どうして自分から欲しがるのかはわからないが。
「そうね……」
納得した由美香は改めて目の前の子どもを見た。
自然と空気に馴染む、この国に来るのが初めて(らしい)という少年。
蒼――色では馴染まないこともある――どこでも必ず繋がるような響きがいい――例えば帰国しても、繋がりを思い出せるような。
「……そら、……とか……。ありきたりだけど、わかりやすいと思うけど、どうかな」
少年は納得したように笑った。
「ありがとう、お姉さん」
「どういたしまして。もう迷うんじゃないわよ?」
由美香の注意に従って、少年――ソラが壇の後ろを追いかける。
良太は思わずその手を取った。
「そら!……でいいのか?」
「うん、なに?」
警戒する様子もなく、ソラが良太を振り向いた。
「お前、初等部に入るのか?」
「どうなのかな。お父さんに聞かないとわからない。転入させてもらえるかどうかもわからないし」
ソラは零を見る。零は気づいていないふりをして、視線を返さない。
「そっか。でも、また会えるよな?」
「多分」
確約ではない返事に、良太はソラの腕を離すタイミングを失う。
さほど強く掴まれていたわけではなかったので、ソラがやんわりとその手を外した。
「またね、良太」
「……ああ。またな」
良太は手を振り、ソラと壇は今度こそ莉央と一緒に校舎に入っていった。
「……大江、あの子と知り合いなの?」
「どこかで会った気はするんですけど、気のせいかな。帰国したとかって言ってましたよね」
それがどこまで真実で、どこまで比喩なのかはわからなかったが、良太はとりあえず壇たちの話に口裏を合わせた。
「気のせいじゃないんじゃない? あの子、あなたの名前を知ってたじゃない」
由美香に言われて、良太ははたと気づく。
そうだ。誰も良太を名前で呼んでいない。
「あれ? なんで……」
それに、確か零はソラに会った最初の瞬間、彼を「薔薇」と呼んだのではなかったか。
「痛っ」
不意に、ポケットのあたりに走った刺激に、良太は思わず声をあげる。
「どうしたの?」
「いや、なんか、……なんだ?」
良太はポケットに手を入れると、そこにある銀のコインを取り出した。
覗き込んでいた由美香が首を傾げる。
「ねえ、そのコイン、そんな意匠だった?」
由美香の声に、零が良太のコインに冷めた視線を落とした。
コインにはまるで咲き誇らんばかりの薔薇が刻まれている。
その花を奪うように、辺りを気ままに飛んでいた淡い蝶が、コインの上に止まった……。
(続く)
著者:司月透
イラスト:伊咲ウタ
次回7月13日更新予定
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