オリオンレイン【第36回】
前回のあらすじ
星の薔薇は『ソラ』という名の少年として良太の記憶の中に残った。壇はそのことが良太のコインに影響するのではないかと気に掛ける。一方、零に疑念を向けられた莉央は、彼からの質問に対してもっともらしい理由を答える。そのやり取りの中、乃木大橋に銀の薔薇が出現したという連絡が入った。騎士に姿を変えた良太は、コインに亀裂を見たような気がしたが――
第18話「亀裂と目覚めと」後編
まるで日没を待たずにライトアップされたように、橋の欄干が煌めいている。
その輝きは橋のたもとから河岸沿いの道路に届き、道を埋めるようにしながら伸びていた。
(……速い)
透けて見える街の景色に、良太は焦燥を感じる。
八重山の時は気のせいかと思っていたことが、確信に変わっていく。
銀の薔薇は、蔓の成長速度が速くなっている。
(それにこれは)
もし薔薇が、幾何学的模様のような銀の円を完成させるつもりなら、いつもより規模が大きい。
その癖、橋の対岸には輝きは広がらない。
(あそこが中心じゃないのか。蕾の位置は……)
不意に足元の感覚が消失した。
「う、わ……っ」
バランスを崩して落下する。
咄嗟のことに慌てる彼の服が、斜め後ろに強くひかれた。
見上げれば、航空障害灯を足場にした莉央が慣れた様子で良太の後ろ襟を掴んでいる。
「気をつけろ。4席の使う扉は固定時間が短い」
「そういうの、先に教えて下さい……」
何度も薔薇を狩っている割には、いまいちスタイリッシュに決まらない自分に、良太は内心でため息をついた。
「彼は蝶があるから、足場に困ることは無い。僕らとは違う」
「蝶とか鳥とか、こういう時は少し羨ましいですね」
水が流れるように進む銀の光を見ながら、良太はぼんやり呟く。
「なんで俺たちは使えないんだろ」
「僕らのコインは星から離れすぎた。顕現した薔薇を狩った時に必要なエネルギーを奪ってコインを維持する、自給自足の状態だ。本来の力は出ない――」
莉央の声が途切れたので、良太は背後を見上げる。仮面の向こうから見下ろしてくる瞳と視線が合った。
「……君のコインなら。あるいは」
「俺のコイン?」
「源さんは、君のコインは僕らのものとは違うと言っていた。何が違うのかは教えてもらえなかったが……僕らが出来ないから『出来ない』と思っているだけで、本当は君は出来るんじゃないか?」
話している間にも、じわじわと銀の煌めきが延びている。
その綺羅とした侵略花の動きを注意深く観察しながら、良太は莉央に聞いた。
「莉央さんは、源さんと組んでるんですか?」
「組んでいるという考えはないな。行方をくらましていたとはいえ、彼は今も騎士の長を降りていない。だからその指示に合わせている。もちろん、騎士をまとめているのが零だということもわかっている。どちらがどう、と分けてはいない。ただ……」
莉央は遊歩道を塗りつぶす銀の輝きを見て、足元を蹴った。
不安定な姿勢で慣性のまま引っ張られた良太が、咄嗟に情けない声を零しそうになる口元を塞ぐ。その耳に。
「……僕は呪いの解き方を知りたい」
小さいけれどはっきりと、莉央の声が届いた。
騎士の間の天は宙を映している。
瞬く星明りの中で、前方のスクリーンに若い騎士たちの状況が映し出されていた。
「薔薇の姿をしていなければ、薔薇だと気づくことが出来ない……もうそんな世代になっていたのか」
零は蝶を好きに遊ばせたまま、スクリーンを眺めると、うねるように広がる銀の輝きに、冷めた視線を向けた。
あの星から、ここを目指して長い旅をしてきたはずのそれは、自分たちの花守についての情報を欠片も伝えたことがない。時折姿を映し取るだけだ。
この星に来るまでの長い時間の中で摩耗しているのかと思ったが、そういうことでもないのだろう。
コインも。薔薇の力も。騎士も。
長く時間をかけすぎて、その能力が薄れてきているのだ。
目の前をひらりと横切る蝶を見て、零は微かに自嘲する。
……蝶を抑えきれなくなっている自分も、例外ではない。
コインを使う回数を減らし、蝶の数を減らして、この形を維持していた。
なんのために?
(…………。……姉さん)
ひとりあの場に残ったベアトのために。
(姉さん。あなたに似た人がいるんだ)
天井に映る満天の空を見上げて、ぼんやりそんなことを思う。
スクリーンの中では良太たちが奮戦している。
若い騎士たちには、荷が重いかもしれない。
加勢に行かなければ――もしかしたら今度こそ、花守の情報もあるかもしれない――。
――花守の情報を。待たなければ。――いつまで?
ズシン、と。大地が揺れた感じがした。
「なんだ?」
異変を感じた良太が、ビルの屋上に立って辺りを見回す。
金色のカードを足場に薔薇の核を探していた雪也が、良太の隣に降りる。
「今、変な感じしたね」
口調からはいつもの軽さが抜けていた。
「なんていうか……銀の色が濃くなったっていうか」
「薔薇の密度が増したんだ。まとまっていると狙われる。散開するぞ」
莉央の言葉に、三者三様の方角に飛ぶ。その視界を銀光が薙いだ。
「良太っ」
雪也の声を聞いたと思った瞬間、良太は受け身に入る。
世界が銀色の向こうに遠ざかり、背中に衝撃が走った。
「痛ってぇ……」
ふらつく頭を押さえながら、支えになるものを探して手を伸ばす。
カラカラと砂の崩れる音がした。
「――え?」
見れば、薔薇の蔓が薙いでいった横一線、建物に亀裂が入っている。
「……なんだ、これ?」
良太は呆然と周囲を見る。幸い人影などは無い。
「今までこんなこと……」
崩れた壁から突き出た鉄骨。
亀裂は建物の外壁の一部を砕いただけのようだったが、良太が戦慄するには十分だった。
「今までより近くに来たということだろう」
いつの間にか鎧姿になった莉央が、弓を構えたまま呟く。
その矢で良太を襲った銀の蔓を砕き、勢いを抑えたのだと把握するまで、長くはかからなかった。
少し離れた場所で、金の輝きが、銀の輝きを弾いている。
雪也のカードが薔薇の蔓が街に接触するのを防いでいるのだ。
「災厄の薔薇といい、呪いだと、魔法だという。それが真実どんなものなのか、今の僕らは知らない。いつか来る、としかわからない。だから騎士のコインは受け継がれ続けて来た」
言って、莉央は雪也を狙っていた銀の蔓に向かって矢を放つ。
「僕と雪也は街への被害を食い止める。行け、大江」
次の矢を番えた莉央に言われ、良太は刀を握り込んだ。
「――Double up!」
銀と赤の光が溢れる。
その優しい輝きから目を逸らすように、良太は瞳を閉じた。
ずっと、浮かれていたのかもしれない。騎士になれたことに。薔薇を狩って地球を守っている自分に。
魔法とか、呪いとか、災厄とか。
そんな話をしながら、みんな割と普通で、そして自分には実際そんなリスクらしきものは何もなくて、だからどこか他人事で。
選んだなんて言いながら、どうしても現実味は薄くて。
だから覚悟も漠然としていて。
(俺は今も、白紙だ)
けれど。
光の収まった世界で、二刀を手に、良太は崩れた壁を見る。
一歩間違えば、大惨事になるだろう爪痕。
薔薇の力が強くなることで、この先、それは起こりうる未来になる。
そんなことは、望んでない――。
『雪也、蕾の位置は?』
『ごめん、遊歩道の先としか――』
通信越しに答える雪也の声が切迫している。荊に邪魔をされて全体像が見えないらしい。
騎士の間からは応答がない。
誰も居ないのかもしれない。
(さっきの航空障害灯より高い位置……)
辺りを見回すが、該当するようなものはない。
雪也の防御を抜けた銀の蔓がうねるようにして向かってくる。
良太は1刀を床に突き立てると、その柄を足場にして飛んだ。
それまで彼の立っていた位置を狙った蔓が莉央の矢で霧散する。
同時に、莉央は矢羽に刀の下げ緒を結び、良太の上方に向かって射た。
気づいた良太が飛んできた柄を逆手に受け取る。
その視界は下方の莉央、雪也、そして外周を描こうとする薔薇の蔓を一望している。
(遊歩道の先って確か噴水が……)
噴水はあった。まるでそういう意匠だと言わんばかりの、銀の色で。
彼は逆手に持っていた方の刀の柄を器用に返して二刀を構えると、その場に根付こうとしている銀の蕾に向かって十字に赤と銀の閃光を走らせた。
それは重力の助けを借りて薔薇の蕾に吸い込まれ、次の瞬間、7本の高い水柱があがった。
――……の?
――誰もいなくなってしまったの。
――一緒にいると約束をしたのに。
――どこに、いるの……?
銀の霧と水飛沫の向こうで誰かの声がする。
その光が落ち着いてきたと思う頃、ひとりの子どもが現れた。
「お前、確か、ソラ……?」
呟いて、良太は腑に落ちないものを感じる。この子どもはそんな名前だっただろうか。
確かもっと別の。
その良太の様子を見て、ソラは少し困ったように首を傾げた。
「どうしたいか決めたんだ?」
前置きのない問いかけ。それに答えることは自然なことのように思えて、良太は頷く。
「聞いてもいいかな」
「……俺は、薔薇が始めた呪いを解きたい」
コインは銀の薔薇の力をもとに作られた。
災厄の源が薔薇なら、呪いや魔法の源も薔薇だ。
「君のコインには関係のないことかもしれないよ?」
「いいんだ。あいつら、それでも俺を騎士の仲間だと言ってくれたから」
答えると、ソラがくすりと笑った。
「そういうの、嫌いじゃないな。いいんじゃない?」
どこか楽しそうに、踵を返す。
「あ、なあ、お前って……」
追いかけようと伸ばした手から鎧が消えた。
正体を知られると思った良太が反射的に動きを止める。
「由美香お姉ちゃんによろしくね」
ソラはそれだけ言い残して、まだ水の零れる噴水の向こうに姿を消した。
遠くでサイレンの音が聞こえる。
遊歩道では突風が吹いたかのように何本かの木が倒れていて、それを見た良太は伸ばした手で拳を握った。
そしてふと違和感に気付く。
手の中のコインの薔薇の意匠が、7枚の花弁が浮き彫りになったものに変化していた――。
(続く)
著者:司月透
イラスト:伊咲ウタ
次回9月14日更新予定
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