【第4回】さよならピーターパン

さよならピーターパン

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前回までのあらすじ
完全管理されたドーム都市で暮らすクルミたちは「死」という概念すら持っていなかった。そこで起きた殺人事件に戸惑うシティ・ガードの面々。混乱の中、2体目の死体が見つかってしまう。

第4話『シタイとは「シンダカラダ」と書く<後編>』

 現場はやはり被害者の自宅だった。北野コウさんの自宅からそれほど離れていない別のマンションで、被害者は殺されていた。
 現場には、すでにサアラ先輩が来ていた。

「二人とも、おっす」
「帰って寝てたんじゃないんですか?」
「ボスに電話で叩き起こされたのよ。ふあああ。死体を調べるのはあたしだろうし、現場のほうも見ときたかったからいいんだけどさ」

 盛大にあくびをしながら、サアラ先輩は言った。
 わたしとリョウガさんは改めて、死体を見下ろす。
 死体は、リビングの真ん中にあった。例のごとく仰向けで、やはり胸からお腹にかけて切り裂かれており、中身を思いっきりぶちまけている。
 被害者は男性だった。服装は薄手のパジャマ。坊主頭で、無精ひげが浮いていて、あんまり清潔な感じはしない。わたしよりは背が高いが、男性にしてはあまり高くないほうだろう。あと少し太り気味だ。

「あれ?」

 被害者の顔を見て、わたしは声を上げる。
 前にどこかで会ったことがあるような……。

「こいつあれでしょ? クルミの尻触って逮捕されたやつ」

 サアラ先輩に言われ、思い出す。
 痴漢の現行犯で、わたしが逮捕した人だ。

「中島ヤスシさんですね」
「いつの間に出てきたのよ。懲役1年じゃなかったっけ?」
「ちょうど1年くらい経ってますよ」
「へえ、時間が経つのは早いわねえ」

 サアラ先輩は言いながら大きく伸びをする。
 わたしはヤスシさんを逮捕した日のことを、思い出す。

 その日、わたしは都市モノレールに乗っていた。仕事が早く終わったので、新しくオープンしたというカフェに行ってみようと思ったのだ。
 モノレールを使ったのは、シティ・ガードの本部とそのカフェは距離が遠かったからだ。車を使えばもっと簡単だったのかもしれないが、わたしはあまり車の運転が得意ではなく、仕事以外では乗らないことにしていた。
 スペリオルはそれなりに広い都市なので、公共交通機関として都市モノレールが完備されている。都市のいたるところで、空を見上げると、モノレールの線路が悠々と走っているのが見える。
 わたしは吊革につかまりながら、眼下に見える街を眺めていた。計画的に作られた街は、見ているだけで心が落ち着くほど綺麗に整っている。
 二駅くらい進んだあたりで、お尻に違和感を覚えた。
 背後を振り向くと、男がぴったりとわたしに体を密着させ、お尻を撫でまわしている。

「い、いやあああああああああああ!」

 そんなにも至近距離に他人がいることなんて、いままで経験したことがなかったので、わたしは思わず大声で叫んでいた。
 叫びながら、男の腕をひねり上げ、懐から出した手錠を使って拘束した。ほとんど完全に無意識の動作。伊達にシティ・ガードの研修は受けていないのだ。
 男を車両から引きずり出し、駅のホームに立ったところで、わたしはハタと気づく。
 ――罪状、何だろう?
 わたしは怖くなった。何の理由もなく逮捕したら、職権乱用でわたしのほうが捕まってしまう。
 とりあえず、リョウガさんに電話した。

「あ、あの! いま男の人を逮捕してしまったんですけど!」
《逮捕して{しまった}? どういうことだ?》
「犯罪者なのかどうかわからないんです! わたし……逮捕されてしまうでしょうか!?」
《落ち着けクルミ。順番に話せ》
「いや、モノレールの中で、こう、後ろから密着されて、それでお尻を撫でまわされて気持ち悪くて、びっくりして、思わず逮捕してしまったんです。男の人を」

 半泣きになりながらわたしは説明した。

《ああ、それは痴漢だな。お手柄だぞ、クルミ》

 リョウガさんが電話口でそう言ってくれたので、わたしはやっと安心した。
 リョウガさんはすぐに車を出して、被疑者を回収しにきてくれた。

「異性の体を合意なしに触るのが犯罪なんて、あのときはじめて知りましたよ」
「ま、誰も触ろうなんて思わないもんねー」

 わたしが言うとサアラ先輩は感慨深げにうなずいた。

「肩を叩いたりするのはいいんですか?」
「――相手が嫌がったら、わからんな。訴えられたら、あるいは罪になるかもしれない」
「ひっ」

 リョウガさんがそんなことを言うので、わたしは一歩、彼から離れた。

「クルミ。それは俺がおまえを触るのを警戒したのか? それとも自分が俺に触るのが怖かったのか?」
「後者です」
「だったら心配するな。おまえに肩叩かれたくらいで訴えたりしねえよ」

 わたしはホッと息を吐く。

「で、こいつはどうして殺されたのかしら? すごく不快なやつだったから、嫌われてそうよね」

 サアラ先輩は顔を引きつらせながら、中島ヤスシさんを見下ろした。
 たしかに、彼を取り調べたときは不愉快な気分になった。悪いことをしたというのに、まるで反省している様子がなかったのだ。

『どうしてあんなことしたんですか?』

 とわたしが訊くと、

『そこに尻があったから』

 なんて答えたのだ。その場にいた全員がため息をついた。

「しゃべってると5分おきにぶん殴りたくなるようなやつだったからな。殺したくなる気持ちはわかるが……だからって殺していいことにはならねえ」

 リョウガさんはかがんでヤスシさんの顔に手を伸ばした。
 指でまぶたを閉じる。

「過去にも同じようなことをして顰蹙を買ってる可能性がある。その線から洗おう」

 

 わたしとリョウガさんは、ヤスシさんが働いていた通販会社へと向かった。ヤスシさんの上司である部長さんに話を訊くことができた。
 部長さんは40代くらいで、恰幅がよく、人好きのする笑顔が印象的だ。
 だが、ヤスシさんの話になると、眉間にしわが寄り、険悪な表情になった。

「中島? ああ、あいつね。最低の男だよ。遅刻はするし、仕事は雑。あいつの仕事は注文のあった商品を箱詰めすることなんだけど、箱が破れてたり商品のパッケージに傷がついてたりするんだ。あいつがやった仕事には苦情ばっかりさ」

 適性検査に失敗したんだろうか? ヤスシさんは痴漢の罪で懲役刑を受けているから、刑務所を出るときにもう一度適性検査を受けて、ふさわしい仕事に割り振られたはずだけど……。

「社内での評判はどうですか?」

 わたしが訊くと、部長さんは思いっきり顔をしかめた。

「最悪だ。特に女子社員からの評判が酷い。どうも、若い女の子にはすぐ付きまとうらしいんだ。彼を辞めさせてくれと嘆願されたこともあるよ」
「ひでえ野郎だな」

 リョウガさんがつぶやく。思わず感想が漏れてしまった、といった感じだった。
 みんなに好かれていた北野コウさんとは対照的だな、とわたしは思う。

「だとしたら、彼を嫌ってる人も多かったんですか?」
「多すぎて数えきれないね」

 部長さんはうなずいた。

「彼がいなくなって得をするような人はいますか?」
「私を含め、この会社のすべての人間が得をしますよ」

 部長さんは憮然とした様子で言った。

 

「みんなから好かれてる人も難しいですけど、嫌われてる人も難しいですね」

 本部へ帰る途中の車の中で、わたしは言った。

「そうだな。どちらにせよ犯人を絞れない」

 運転席のリョウガさんは、片手でハンドルを操作しながらうなずいた。
 あのあと、社員の方々からもヤスシさんについて話を訊いたのだが、部長さんと似たり寄ったりの意見だった。とにかく評判が悪い。

「北野コウと中島ヤスシに何か共通点があれば、それが突破口になるかもしれないが……それを考える前に、鑑識結果を聞いておこう。そもそも同一犯による犯行かどうか決まったわけじゃないからな」
「え、違う可能性があるんですか?」

 わたしはてっきり、犯人は同じだと思っていた。

「たしかにパッと見た感じ、犯人は同じように見える。だが、被害者の一方はみんなの人気者で、もう一方は嫌われ者だ。慎重に判断したほうがいいだろう。鑑識課に行くぞ」

 

 鑑識課では、サアラ先輩がデスクに突っ伏していて、寝息を立てていた。

「サアラ、起きろ」

 リョウガさんは躊躇なくサアラ先輩の肩を掴んで揺さぶった。

「んああ、遅いじゃないの! こっちはさっさと帰りたかったのに!」

 サアラ先輩は目をこすりながら言う。

「ということは、死体は調べ終わってるんだな?」
「ええ。寝ないで頑張ったんだから褒めてよね?」

 サアラ先輩はニヤリと笑う。

「で、どうだ? 同一犯による犯行だと思うか?」

 リョウガさんが訊くと、サアラ先輩は

「あん?」

 と言って顔をしかめた。

「何当たり前のこと訊いてんの? スペリオルにこんなことするやつが二人も三人もいるわけないでしょーが」

 寝不足で機嫌が悪いのか、口調がトゲトゲしている。

「いや、そういうことじゃなくて、死体の状態から見て同一犯による犯行と言っていいか訊きたいんだ。たしかにおまえの言う通り、この街に殺人なんてするやつはそうそういないだろうが、念のため確証がほしい」

 リョウガさんのほうは冷静だ。

「へぇ、リョウガって用心深いのね? 意外。ま、そういうことだったら言うけど、死体の状態から考えても、同一犯による犯行と考えて間違いないわ」
「理由は?」
「あー、じゃあ面倒だから概要、全部説明しちゃうわ。まず死亡推定時刻は、4日前の朝7時。無断欠勤が続いたから、職場の人間たちが不審に思ってマンションにやってきて発見……って感じだから、まあその辺は妥当な時間ね」
「じゃあ北野コウさんが殺される前ってことですか?」

 わたしは訊いた。

「そういうことになるわね。中島ヤスシが第一の被害者で、北野コウが第二の被害者」

 サアラ先輩はうなずく。

「次に活動停止の原因だけど、見ての通り心臓を刺されたことね。使われた道具は、例のごとくものすごく鋭利な何かってことしかわからない。お腹を掻っ捌いてあるところも含めて、北野コウの場合と類似点が多い。早朝に{被害者名義のカードキーを使って}自宅に侵入しているところとか、その間だけなぜか防犯カメラが作動していないってところもそっくり。あんな鋭利なものを手に入れられて、あんなに都合よく侵入できる人間はそうそう多いとは思えない。というわけで、同一犯による犯行って線が濃厚。以上」
「了解だ。早く死体を調べてもらえて助かった。推理できていたとしても、確証があるのとないのとじゃ、全然違う」
「感謝してるなら、今度コーヒーでも奢ってちょうだい」
「ああ、この事件が落ち着いたらな。というわけでクルミ、北野コウと中島ヤスシの共通点を洗おう。同じ人間が狙ったんだ、きっと共通点があるはずだ」
「わかりました!」

 

 サアラ先輩と別れ、わたしとリョウガさんは捜査一課のオフィスへ向かう。
 もう夕方近かったので、オフィスには誰もいなかった。

「何だよ、みんな帰っちまったのか?」
「勤務時間、終わってますからね」
「仕方ねえな、ったく」

 ドカッと、リョウガさんは椅子に座った。椅子が軋みをあげたので、ちょっと可哀想だった。ものは大切にしたほうがいいですよ、と心の中でリョウガさんに言う。

「クルミも帰るか?」
「リョウガさんはまだ帰らないんでしょう?」
「ああ。資料を見ながら、少し考えを整理したい」
「付き合いますよ」

 わたしは机の中から携帯食料を出した。チューブに入ったゼリーだ。
 口に含みながら、わたしは端末上に捜査資料を表示させる。

「サアラが言っていたとおり、今回の事件はおそらく同一犯による犯行だ」

 リョウガさんが言う。

「いまのところ、被害者二人を個別に調べてみても、特定の容疑者は浮かび上がってこない。そこで次にやるべきは、被害者二人の共通点を探ることだ」
「共通点……」

 何かあるだろうか。
 捜査資料を見ながら、考える。
 二人はずいぶん違う。北野コウさんは気さくで、多くの人から好かれている。また、まだ20代半ばで、若い。それに対して中島ヤスシさんは多くの人に嫌われている。年齢は30代半ば。仕事は、コウさんがショップ店員で、ヤスシさんが通販会社の箱詰め係。これまた共通点がない。
 とすると――

「共通点があるとしたら、二人とも犯罪者ってことですか?」
「やっぱりそれしかないか」
「二人が犯罪者だから殺した……なぜです?」
「一つ考えられるのは、犯罪者を罰したかったから、か」
「罰する? それは司法の仕事です。ヤスシさんはすでに刑期を終えてますし、コウさんも、本当だったらわたしたちが逮捕して起訴されるはずでした。それなのになぜわざわざ?」
「足りなかったんだろ、それだけじゃ」
「刑が軽すぎた、と?」
「そうだ。中島ヤスシは懲役1年。北野コウも多く見積もってもその程度だろう。それだけじゃ足りなかったんだ。もっときちんと罰してやりたかったんだ」

 リョウガさんはそう言うと、

「ふざけた野郎だ!」

 デスクに拳を振り下ろした。
 ドン! と鈍い音がして、デスクとその上の端末が揺れた。かなり強く叩いたようで振動がわたしのほうまで届いた。

「り、リョウガさん……?」

 わたしはぎょっとし、リョウガさんのほうに視線を走らせた。
 息を飲む。
 ただですら悪い目つきが、猛獣のように鋭くなっている。わたしがにらまれているわけではないのに、全身が縮こまってしまう。そのくらいの迫力だった。

「犯罪者を罰するために殺してるってか? は! 法で裁けない相手を俺様が裁いてやるってか?」

 拳を握りしめ、独り言を言うリョウガさん。

「たしかに窃盗も痴漢も悪いさ。だけどいくら悪いからって、人の命を奪う理由にはならねえ」
「リョウガさん……? どうしたんです……?」
「どうしたもこうしたもあるかよ。犯人は犯罪者を狙って殺してやがる。きっと自分はヒーローか何かだと思ってるんだ。何様のつもりだ。犯罪者なら殺しても平気だろうって考えてるのかもしれないが、反吐が出る。絶対捕まえてやる」

 リョウガさんは犯人に対してものすごく怒っているようだった。
 いや、たしかに犯人は悪いことをしたわけだから、多少怒るのはわかる。
 けれど、いくらなんでも怒りすぎだ。
 こんなに感情的になっていたら冷静な判断を下せなくなり、捜査に支障をきたすのではないか、とわたしは心配になった。単純にリョウガさんの体も心配だった。血圧が上がったら健康によくない。
 だから、

「あの、リョウガさん……そんなに怒らなくても。たかだか犯罪なんですから」

 とわたしは言った。
 犯罪が起きたことは嘆かわしいが、だからと言ってそれによって世界がどうにかなるわけではない。リョウガさんが被害に遭ったわけでもない。

「――おまえ、いま何て言った?」

 低い声で、リョウガさんが言った。トラックのエンジン音のような、ザラザラとした耳障りな声だった。

「そんなに、怒らなくても、と」
「その次だよ」
「たかだか犯罪なんですから――」
「バカ野郎!」

 怒鳴りつけられた。
 わたしは「ひっ」と小さく悲鳴を上げ、目をつぶった。
 目を開くと、あの鋭い眼光がまっすぐわたしのことをにらんでいる。

「わかってんのか? 人が二人死んでるんだぞ? これが怒らずにいられるか? おまえは、人の命を何だと思ってんだ!」
「わ、わたし、リョウガさん、そんなに怒ってたらいつもみたいに捜査ができないんじゃないかって……それから体にも悪いって……怒るのは、疲れるし、気分悪いし、だから、だから、なだめようと思って……」

 目が潤んで、視界がぼやけた。
 リョウガさんが怖かった。
 いつものリョウガさんじゃない。
 リョウガさんはぶっきらぼうで口が悪いけど優しい人だ。
 それなのに今日は、すごく怖い。
 自分がどうして怒られているのかわからなかった。わたしはただ、リョウガさんのことが心配だっただけなのに……。

「そういう話じゃねえんだよ」
「じゃあどういう話なんですか」

 わたしはうつむいた。
 瞳から涙が溢れ出して、ぽたぽたと膝に落ちた。

「どういう話って……そうか」

 リョウガさんの声が少し優しくなった。

「おまえは知らなかったんだもんな、死体っていう言葉を」

 リョウガさんはジャケットのポケットからハンカチを取り出すと、わたしに手渡した。
 わたしは黙って受け取り、ハンカチを顔に押しつける。

「デカい声出して悪かった。少し、外に出るか」

 リョウガさんはわたしの手を引いて立ち上がった。

 車に乗って向かった先は、丘の上公園だった。北野コウさんがアリバイ作りに使った、あの場所だ。
 リョウガさんは柵に両腕を乗せて寄りかかっていた。眼下には、スペリオルの街が見下ろせる。リョウガさんは地平線を眺めているようだった。
 わたしはその少し後ろに立って、リョウガさんの背中と、街と、それから空を視界に収めていた。
 ちょうど日が沈む時間帯で、夕日が綺麗に見える。

「嫌なことがあったり、辛いことがあったりすると、いつもここに来るんだ。夕焼け、綺麗だろう? ドームの天井に映し出された映像だってのはわかってるが、それでも俺たちにとっては本物の夕焼けだ」

 ――どういうことだろう。
 いつもは大きくて頼もしいリョウガさんの背中が、今日はすごく小さく見えた。

「辛いこと、あるんですか?」

 わたしはその背中に問いかける。

「おまえはないのか?」
「あんまり……」

 強いて挙げるとすれば、今日リョウガさんに怒られたことが辛かった。
 リョウガさんはわたしのほうに向きなおり、背中を柵にもたれさせた。
 そして笑う。寂しげに。

「そうだよな。この世界は安定してる。秩序が維持されている。普通に生きてるやつにとっては辛いことなんて、ほとんどない。大切な人が死ぬことも、ないからな」
「……」

 わたしにはわからない。リョウガさんのことが。
 どうしてあんなに怒っていたのか。
 どうして今日は、小さく見えるのか。
 どうしてこんなにも、寂しそうに笑うのか。
 リョウガさんはいつも隣にいた。
 一緒に仕事をしていた。
 友達だと、思っていた。
 リョウガさんは、わたしのよく知っている人だ。
 そのはずだった。
 けれどいまここにいるリョウガさんは、わたしの知らないリョウガさんだった。
 どうしてリョウガさんは、あんなに難しい言葉をたくさん知ってるの?
 どうして死体を見たときに死んだ人だってすぐにわかったの?
 どうしてこんなに一生懸命、殺人事件を追いかけるの?
 ――どうしてリョウガさんは、辛いときがあるの?
 それらすべての疑問を、わたしは飲み込んだ。口に出そうとはした。けれど喉の奥のほうでつかえて、出てこなかった。
 大きな壁みたいなものが、わたしたちの間に立ちはだかっているように見えたから。
 あるいは大きな谷が。
 わたしが何かを語っても、届かないんじゃないかと思った。
 そのくらいリョウガさんが、遠くに見えた。

「クルミ、人間は死んだらどうなると思う?」
「え……?」

 わたしは質問の意味が理解できなかった。

「死んだら、死体になるんじゃないですか?」
「そういう意味じゃねえよ」

 リョウガさんは笑う。

「質問の仕方が悪かったか。そうだな……死んだ人間が一年、二年……三年くらいたったら、死体はどうなると思う?」
「えーっと」

 わたしは考える。
 どうもこうもないではないか、と思う。
 死体は、死んだ体。生命活動を停止しているから、動かない。そのままじゃないのか。

「あ、でも、わざわざ質問するということは、その状態から変化するってことですか?」
「そうだ。察しがいいな」
「じゃあいったいどうなるのか考えるとして……」

 わたしは顎に手をあて、首を傾ける。
 変化するとしたら、どういう形だろう。
 ふとわたしは、死体があるものに似ていることを思い出す。
 眠っている人だ。
 もちろん、眠っている人は息をしているからちょっと体が動いている。生命活動が停止しているわけではない。けれど動かないという意味では似たような感じだ。
 そして眠っている人はそのうち起きる。
 また、停止という言葉から考えても、停止しているものはまた動き出す。車だって一度停車しても、また走り出す。
 ということは――

「わかりました。死体はしばらくすると目を覚ますんです!」

 我ながら、頭がさえている。
 わたしはこの間、アリバイトリックを解いたときみたいにリョウガさんが褒めてくれるのを期待した。
 けれど、

「違うんだ、クルミ」

 リョウガさんは首を横に振ったのだ。
 その顔には、例の寂しげな笑み。

「死体は目を覚まさない。永遠に」
「永遠にって……ずっとってことですか?」
「そうだ。死んだ人間は、ただの物質になる。微生物に分解され、いつか朽ち果てる。消えて、なくなるんだ」
「!?」
「たとえばほら、食事でゼリーを食べるだろ? あれも、食べたら消えてなくなる。それと同じさ。死んだ人間は消え失せる。だから――殺人は、最も悪い犯罪の一つなんだ。一人の人間を消し去るってことだから」
「消えた人間は、どうなるんですか?」
「どうもならん。死んだ人間とは二度と会えない」
「待ってください。じゃあリョウガさんも、死んだら消えちゃうんですか?」
「そうだ」
「サアラ先輩も、ボスも?」
「ああ」
「そんなの……そんなの、嫌です! 会えなくなるなんて、嫌です!!」

 わたしはリョウガさんにしがみついていた。
 他人に合意なく触れるのは犯罪だ。リョウガさんはわたしを振り払ってもいいはずだった。
 でも優しく受け止めてくれた。

「いますぐにいなくなるわけじゃねえよ」

 リョウガさんの言葉は相変わらず汚かったけれど、でも声は優しかった。そっと、頭を撫でてくれる。
 リョウガさんに触れられていると心が落ち着いた。
 どうして他人に触るのは犯罪なんだろう、とわたしは不思議に思う。
 こんなにも、気持ちが安らぐのに。

「だけどこれでわかっただろう? 犯人は相当酷いことをしている」

 よく、わかった。
 コウさんがいなくなったら悲しい人は、たくさんいたはずだ。ヤスシさんのことはわからないけど、でもきっと彼だって独りぼっちじゃない。
 殺人はいけないことなんだ。
 そして死は――誰かの死は、とても{辛いこと}。

 

 いったんわたしたちは本部に戻った。
 リョウガさんは少し仕事をするからと言ってオフィスに残った。

「じゃあわたしも!」

 と、わたしは言ったのだが、

「おまえは帰れ。ちょっと休んだほうがいい」

 と言われて帰された。
 たしかに少し疲れているかもしれない。このごろ働き通しだったから。
 お言葉に甘えて、わたしは帰路についた。
 ただ、帰ってもゆっくり休めそうにない。
 頭の中ではずっと、リョウガさんが言っていた「死」の話が、ぐるぐると渦巻いていた。
 わたしはずっと、いまの生活が続くものだと思っていた。毎朝出勤して、シティ・ガードの仲間たちと仕事をして、家に帰って――。
 でも誰かが死んだら、変わってしまう。
 永遠じゃ、ないんだ。いつでも消える可能性があるんだ。
 そのことを考えると胸の奥の奥のほうが痛くなってくる。
 悲しい。
 辛い。
 嫌だって、思う。
 下を向いて歩いていたら、いつの間にか自宅のマンションについていた。カードキーを使ってマンション内に入り、自室へと向かう。玄関のドアもカードキーで開ける。
 鞄を床に放り投げ、デスク前の椅子に座って、わたしは天井を見上げた。
 このまま寝ちゃおうかな、と思う。夕飯を食べたほうがよさそうだが、まったく食欲がない。シャワーを浴びる気力もない。

「帰ってきて正解でしたね……」

 リョウガさんの言うとおりだ。わたしは少し休んだほうがいい。
 ――服を脱ごうと思って立ち上がったときだった。
 ピッ! という電子音が、玄関のほうから聞こえた。
 続けて、ガチャリ、という金属音。
 玄関のドアが開かれる音――。

「誰……?」

 聞くまでもなかった。
 なぜなら、この部屋に入れるキーを持っているのは、わたしと管理人さんだけ。
 だけど管理人さんが何の予告もなく入ってくるはずがない。
 だとしたら――。
 わたしは恐る恐る、後ろを振り返る。
 廊下の奥から、誰かが歩いてくる。
 身長と体格から考えて、入ってきた人物は男性のようだった。パーカーにジーンズというラフな格好で、フードを目深にかぶっている。その下の顔は、白塗りの仮面をかぶっているせいで見えない。
 手には、長さ30センチほどの刃物を持っている。

「嫌っ!」

 わたしは逃げようとして後ずさったが、足がもつれて、思いっきり転倒してしまう。
 けれどそれが、わたしを救った。
 ひゅん、と風を切るような音が、わたしの頭上で聞こえた。
 男がまっすぐ刃物を突き出した音だった。あのまま立っていたら、胸を突き刺され、わたしも死体になっていただろう。
 「死」という単語が頭に浮かんで、全身に鳥肌が立つ。
 わたしはまだ知らない。

{自分が死んだらどうなるのかを}。

 他人が死んだら消える。もう会えなくなる。それはわかる。北野コウさんや中島ヤスシさんとは話ができなかった。彼らはあのまま消えていくのだ。
 でも、自分が消えるって、どういうことだろう。
 まったく想像できなかった。
 だからこそ――全身を恐怖が貫いた。

「やだ……」

 わたしは立ち上がろうとしたけれど、足に力が入らなかった。尻もちをついたまま、ずりずりと後ろに下がることしかできない。
 そんなわたしを、男が見下ろしている。
 男は刃物を逆手に持ち替えると、思いっきり振り上げた。

「嫌!!」

 わたしは悲鳴を上げながら後ずさる。
 けれどすぐにベランダのガラス戸に背中がぶつかる。
 これ以上はもう、逃げられない
 わたしは――死ぬ。

「――――ッ!!」

 喉の奥で声にならない悲鳴を上げた―――――そのとき。

「クルミ!」

 男性の声と一緒に、
 ガッ!
 という鈍い音が部屋に響き渡った。
 部屋に駆け込んできた男性が、刃物を振り上げた男に回し蹴りを放ったのだ。
 踵が側頭部に直撃し、刃物の男は思いっきり吹っ飛んだ。そのまま、部屋の小物類を蹴散らしながら床を転がる。
 転倒する際に、派手な音が部屋中に轟いた。

「大丈夫か!?」

 部屋に駆け込んできたのはリョウガさんだった。わたしの肩を抱くようにして、立たせてくれる。

「怪我はないか!?」
「だ、大丈夫です――リョウガさん! 後ろ!」

 リョウガさんの背後で、刃物の男が立ち上がった。

「あれ喰らってまだ動けるのか!」

 リョウガさんは振り返る。
 同時に、男が刃物を振り抜いた。
 リョウガさんは顎を引いた。直前までリョウガさんの顔があったところを、刃物の先端が通り過ぎる。
 振り抜かれた腕をリョウガさんが両腕で抱きかかえるようにして捕まえた。
 もみ合いながら、二人は床に転がる。
 衝撃で、男の手から刃物が離れた。
 男が刃物に手を伸ばす。
 が――

「させるか」

 リョウガさんが一足早く刃物を手に取り、振り抜いた。
 男の右腕が刃物によって切断され、床に落ちた。

「ぐ」

 男は小さくうめき声をあげただけだった。
 男は立ち上がり、ベランダのガラス戸に向かって駆け出した。
 左腕で頭をかばうようにして、ガラス戸に体当たりする。ガラスは木っ端みじんに砕けた。男はそのままベランダに出て、階下へ飛び降りた。
 わたしとリョウガさんはベランダに出て下を見下ろす。
 黒い人影が走り去っていくのが見えた。
 わたしの部屋は4階だ。こんな高さから飛び降りて無事なんだろうか?
 不思議だった。

「逃げられたか」

 リョウガさんが隣で舌打ちしていた。
 不思議、と言えば――

「助かりました。ありがとうございます。でも、リョウガさん、どうしてここに?」
「これだよ」

 リョウガさんがポケットから携帯端末を取り出す。

「あ」

 わたしの携帯端末だった。

「デスクの上に置きっぱなしになっていた。ないと困るだろ? これがないんじゃ連絡もできないから、届けにきたんだ」
「そんな……わざわざありがとうございます」
「気にするな」

 ニッとリョウガさんは笑った。
 いつもは目つきの悪い瞳が、いまは優しく細められていた。
 リョウガさんの顔を見ていたら、張りつめていた緊張がほぐれたような気がした。

「俺の顔に何かついてるか?」

 ずっと見つめていたらしい。リョウガさんに不審がられた。

「い、いえ」

 わたしはぶんぶん首を振った。

「ボスに連絡しますね。事件のこと」
「よろしく頼む」

 わたしは部屋に戻りながら携帯端末でボスに電話した。

《何? 犯人に襲われた? 無事なのか、そうか、よかった。捜査官と一緒にそちらに向かうから、少し待っていてくれ》
「わかりました」

 わたしは電話を切り、ボスの話をリョウガさんに伝えようと思ったが、

「クルミ、これを見ろ」

 先にリョウガさんに話しかけられた。
 リョウガさんは、男の切断された腕を手に持っていた。
 その断面を、わたしの眼前に持ってくる。

「これは、機械ですか?」

 断面には、スクラップになった自動車のような、複雑怪奇な機械部品が見えていた。

「ああ」

 リョウガさんが重々しくうなずく。
 ということは、犯人は機械……?


著者:高橋びすい
イラスト:黒銀


次回6月6日頃更新予定


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