サン娘 ~Girl's Battle Bootlog【第12回】
第二章③
熱い陽射しがジンジンと降り注ぐ、真夏の競技場だった。
ユニフォームを着た生徒たちが、あちこちで談笑したり、整理運動を行ったりしている。
それで、これが中学二年のときの夢だとわかった。
ならきっと、あの子もどこかにいるはず……。
周りを見回す。目当ての人物は、すぐに見つかった。
ユニフォーム姿の、ショートカットの少女。競技終わりなのか、タオルで汗を拭っている。
まあちは、明るく声をかけようとして――その表情が凍りついた。
少女と目が合った。その瞳が、まあちに向かってこう言っていた。
『裏切者』
怒りとも哀しみともつかない複雑な眼差しだった。
ぐにゃりと地面が歪むような感覚。息が荒くなる。心臓の鼓動が激しくなる。
その場からいますぐ逃げ出したいような気持になり、そうして――
「っ!」
まあちは、ベッドから起きた。
窓辺から朝の光が差し込んでいる。六畳一間の洋室。あまり飾りっ気がなく、荷ほどきの終わってないダンボールがいくつも見えた。棚の上には、昨日買ったばかりのあんパンのヌイグルミ。間違いない。ここは、学園寮の自分の部屋だ。
額に手を当てる。寝汗と違う、冷たい汗が滲んでいた。
(久しぶりに見たな、あの夢……。ここ半年は見なかったのに……)
ベッドから立ち上がる。部屋の隅に置かれた、一つのダンボールへ近づいた。
閉じられたままの蓋を、ガムテープを剥がして開ける。中から一つの衣服を取り出した。
それはユニフォームだった。陸上部のユニフォーム。
「…………」
まあちは黙ったまま、手にしたユニフォームを見つめ続けた。
「はぁはぁ……」
朝の通学路をまあちは走っていた。全力疾走ではなく、あくまで一定のペースで走る。まあちは、毎朝走って学校に行くのが習慣になっていた。栞からは、無料の通学バスが出ていると教えられたが、まあちは走ることを選んだ。
中学時代は学校へ登校する前に、朝のランニングを行うのが日課だった。この広い聖陽学園の校内は、軽いランニングにはうってつけだったのだ。
それに。
ふと立ち止まる。歩道脇から伸びた並木道。
すでに桜は散りかけ、薄桃色の花びらの奥に緑の葉が目立つようになっていた。
「おはよう。レイちゃん」
並木道に立つ、レイへと声を掛けた。
「うん……」
いつものぼうっとした返事。
レイは時折、こうして朝の並木道に佇んでいる。いるのは三日に一度ぐらいの頻度だったが、見かけた際は声を掛けるようにしている。まあちが、バス通学を控えたのも、ひとえにレイと話すためだった。
「桜も、もう終わりの時期だね」
散っていく桜を見上げる。
「残念?」
レイは少し考えたあと、
「……少し」
「そっか……。それじゃあ今日も元気に学校行ってくるね?」
「うん……」
レイに手を振りつつ、並木道を後にする。レイはその場から動かない。最初は、どうして学校に行かないの? や、教室はどこ? などと質問もしたが、明確な答えは返ってこなかった。
(何か特別な事情でもあるのかな?)
そう思ってからは、色々と尋ねるのはやめた。レイが誰だろうとまあちには関係ない。こうして朝、一言二言話せるだけで十分だった。
(だって、レイちゃん可愛いし!)
見惚れるような銀髪から、いつものように元気をもらってまあちは校舎へ向かった。今日は少しだけブルーな朝だっただけに、なおさらレイと会えてよかったと思う。
(……あっ。そういえば……)
SUN-DRIVEのアイコンについて尋ねたときだけ、レイの反応が違っていた。
『S』と書かれたアイコンを見てから、まあちに言った。
「これは、あなたのもの」
いつものぼうっとした言葉づかいではなく、妙にハッキリとした言葉だった。
放課後。まあちは、楓と栞を伴って事務棟へ向かっていた。
部活を作るべく担任の響子に相談したところ、創部の申請書は事務棟でもらえると教えてくれた。生徒数が一万を超える聖陽学園では、事務関係は大学の事務所のように、専門の部署が行っているそうだ。
「事務棟って、校舎から離れてるんだねぇ」
本校舎を発ち、広く整理された歩道を歩きながら言った。
「事務棟は外来の窓口にもなってるから、立地的に駅近くになるのよ」
「駅かぁ。びっくりだよね。まさか校内に駅まであるなんて……」
井荻・上井草・上石神井間には、西武新宿線が通っている。各駅はいまも存在しているが、学園関係者以外は、基本的に降車不可だった。生徒たちが校内の移動に利用する際も、専用の車両が出ており、そちらを利用することになっていた。
「改めて考えるとすごい学校だよねぇ」
「そりゃね。そもそも校舎からして、あんなに大きいワケだし」
聖陽学園の本校舎は、一万人の生徒が通うだけあって、巨大だった。高等部と中等部の校舎が隣接していることもあり、延べ十棟以上もの校舎棟が合わさって出来ている。
「グラウンドだって、いくつもあるんですよ? それに球場やサッカー場、各競技に合わせた専用の設備まで設けられてるんです」
「基本的に使うのはスポーツ科の生徒や部活動の連中だけどね。おっ。噂をすれば、ほら」
楓が、敷地内の一角を指す。その先に、赤いトラックが敷かれた陸上競技場があった。
「おぉ! 陸上競技場だぁ!」
「何よ。やけにテンション高いわね」
「えっ? あ、いや……」
「事務所の受付時間には余裕もありますし、良かったら少し見ていきますか?」
「えっと……でも……」
「なに、変に遠慮してんのよ。あんたらしくもないわね」
「うっ。じゃ、じゃあ……」
頷き、栞たちと共に道を曲がり、競技場へ近づいていく。
競技場内では、練習着姿の少女たちが、それぞれ放課後の練習に励んでいた。
「うわー……懐かしい……」
「懐かしいって……あんた、前は陸上部とかだったの?」
「あー……う、うん……」
「へぇそうなの。ちなみに、競技は何やってたのよ」
「えっと、それは……その……」
言いあぐねるまあちに、楓が首をかしげる。すぐさま栞が楓の肩を叩き、
「ほ、ほら、楓さん。あちらを見てください。ずいぶんと盛り上がっているみたいですよ?」
「え? ……あっ。ホントねぇ」
競技場内の少し離れた場所で、生徒たちが集まり「キャーッ!」と黄色い声を上げていた。
中等部の生徒らしく、口々に「先輩! カッコいいです!」「憧れちゃいますぅ!」などと騒いでいる。
生徒たちの視線の先には、短距離走のトラックを走る一人の生徒がいた。
とても綺麗なフォームで走る少女だった。ショートカットの髪を風になびかせ、まあちたちの前を颯爽と通り過ぎていく。
その横顔を見たとき――まあちの息が止まった。
信じられないものでも見たように目が見開かれ、身体が固まる。
少女がゴールラインを越え、かたわらの計測係がストップウォッチを止めた。
「けっこう速いわね。陸上には明るくないけど、かなりいいタイムなんじゃない?」
「天霧静流さんですわ。私たちと同じ高等部の一年で、陸上部で活躍なさっているそうです。上級生すら追い抜くほどのタイムだそうで、若手のエースとして期待されているみたいですよ?」
「ずいぶん詳しいのね」
「その……掲示板をチェックしていた時期に、よく話題に上っていたもので……」
「あー……なんかゴメン」
「いえ、いいんです」
「でも、それだけの実力があるなら、中等部の頃から騒がれててもおかしくなさそうだけどね」
「中等部の三年の頃に転校なさって来たそうです。ちょうどまあちさんとは一年違いですわ」
振り向いた栞が、そこでようやくまあちの異変に気付いた。
金縛りにあったかのように身体を硬直させたまあちを見て、
「ま、まあちさん? あの、どうかなさったんですか?」
「あ……いや……」
上手く返事ができない。
「気分でも悪いんですか? もしよろしければどこかで休んで……」
「だ……大丈夫大丈夫。な、なんでもないから……」
なんとか声を絞り出したものの、顔色は真っ青だった。
案の定、栞と楓が心配そうな顔を向けてくる。
「ホント大丈夫? キタキツネに捕食される寸前のエゾリスみたいな顔してるけど」
「い……いいから! もう行こっ! ほら、創部の申請書もらわなきゃいけないし!」
「え、ええ……」
困惑する栞たちから顔を背け、歩き出そうとしたとき――
「……久しぶりね」
背後から声がかけられた。
ビクッと身体が震える。そのまま、恐る恐る後ろを振り返った。
目の前に、天霧静流が立っていた。
「中学以来かしら? その制服、貴方もこの学園に来てたなんてね」
冷たい声だった。旧友との再会を喜ぶような親しみは、欠片も感じられない。
まあちは怯えたように身をすくめ、
「う、うん……今年の春から……」
「一つ聞いていい? ……今さら私の前に現れてどういうつもり」
さきほどよりも一層冷たい声。鋭く、容赦のない眼差しが、まあちを睨む。
耐えきれず、まあちは目をそらした。静流は嘲笑うように、
「そう……またそうやって逃げるつもりなのね、あのときみたいに」
「っ! ち、ちが――」
言いかけて、再び言葉が詰まった。
静流の端正な顔は、ハッキリと怒りに歪んでいた。
「私は一生……貴方を許さない」
言葉の一つ一つが、胸に突き刺さる。痛みを堪えるように歯を食いしばった。
やっぱりこの子はまだ……あのときのことを忘れてない……。
心臓の鼓動が激しくなる。まともに立っていることすらできなくなる。
そのまま倒れてしまいそうになったとき――
「……まっ。事情はよくわかんないけどさ。とりあえず、そこまでにしといたら?」
軽い調子で言って、楓がまあちを庇うように前に立った。
静流は、そこで初めて楓の存在に気付いたというように、
「誰よ、貴方」
「まあちの連れよ。事情があって、色々と仲良くさせてもらってるわ」
『連れ』の部分を強調しつつ、不敵に言った。遅れて栞が、
「わ、わ、私もまあちさんの友達ですから!」
同じくまあちを庇うように楓の隣へ並んだ。
「楓ちゃん、栞ちゃん……」
静流は、二人の顔を興味深そうに見回し、
「そう……一つ忠告しておくけど、その子からは早めに離れた方がいいわよ? あとできっと後悔することになるから」
「ありがと。なら、お返しにこっちからもひと言。……余計なお世話よ」
「……好きにすればいいわ」
興味を失くしたように、静流は三人に背を向け、歩き去っていった。
遠ざかる背中からは、明確な拒絶の意思が放たれていた。
著者:金田一秋良
イラスト:射尾卓弥
次回4月5日(水)更新予定
©サンライズ
©創通・サンライズ