エンタングル:ガール 舞浜南高校映画研究部【第23回】

第6話「エントロピック・アシンメトリ」2

← 前作品ページ次→

前回のあらすじ
黒髪の少女は言った。「カミナギさん。世界のエンタングルメントエントロピーに囚われないで。あなたの自我が失われてしまう」世界と自分の境界線が静かに解けていく。自分がどうして映画を撮ろうとしていたのか――カミナギはわからない。世界のことはわかったはずなのに。⇒ 第22回へ

 カミナギがマンションに戻ると、ロビーでキョウが待っていた。
 家族に――正確には家族に似た情報体に――会うのが怖くて、キョウの部屋を訪れることにした。
 彼の家族はいなかった。両親と妹がいるはずだけれど、彼らが意思を持つ情報体なのか、それとも会話ができるというだけのプログラムなのか、それを確かめるのも怖かった。

「お前がオレの部屋に来るの、ひさしぶりだな」
「そうだっけ」カミナギがつぶやく。「でも、ここにいること自体、無意味なんだよね」
「……なんの話だよ」
「だってわたしたちは量子コンピュータが見る夢なんでしょう? 夢が何をしても夢のままじゃない」夢が見る夢なんて、現実から二重に離れている。
「オレはそうは思わない。オレはまだ何回かしかループしてないけど、毎回新しい発見がある」
「……夢のなかで発見しても仕方ないよ」
「夢から抜け出る方法はいま探してる。もう少し待ってくれ」
「キョウちゃん、わたし知ってるの。もうわかってるの。未来のわたしの記憶なのかな。方法はあるかもしれないけど、量子コンピュータにも寿命があるんでしょう? それに」
「それに、何だよ。量子コンピュータが壊れるまえに物理的に人体を再生する技術を見つけてやるから」
「それに! 夢から抜け出たって、もう世界は滅んでいるんだよ!」

 カミナギの大声にキョウは一瞬だけ言葉を失うが、すぐに反論する。

「だからオレたちが自分も世界も復活させるんだろ。それからお前は映画監督になればいい」

 そうか。こういうキョウちゃんだから、わたしはキョウちゃんのことが……。でも今のわたしは意地悪だ。

「それ、いったい何年後の話?」

 二人はそれっきり黙り込んでしまった。
 何を話したらいいのか、わからない。キョウもきっと同じだろう。
 カミナギはアマネとの約束を思い出した。今日の夕方、部室でVR映像の編集をするんだった。
 アマネ先輩。
 ミズキ。トミガイくん。みんな。
 ほんの少しの人以外はみんな、世界の秘密を知らずに過ごしている。

「キョウちゃんは、わたしが覚醒しないように気をつけてくれてたんだね」
「覚醒しないままなら、そのほうがいいとオレは思ってる。わかんねえけど。あと、お前はまだ半覚醒だ。次のループでまた未覚醒状態になるかもしれない。精神的な不確定性原理みたいなものがあるんだ」
「どういうこと?」
「不確定性原理っていうのは量子力学の基本中の基本原理だ。どんなものも完璧には測定できない。状態は常に揺らいでいる。それは量子サーバーの中も外も関係ない、世界に内在する根本原理なんだよ」

 完全に覚醒しない限りは元通りの何も知らない状態に戻ることも多いということだ。量子力学なんて知らないはずなのに、今は感覚的にわかる気がする。半分覚醒しているからか、それとも自分が量子サーバーのなかの量子情報そのものだからなのか。
 キョウは量子サーバーの全容がまだ解明されていないと言った。調査するにも人手が足りない。そんなことより実体化技術を開発すべきだという意見も根強いらしい。
 カミナギはキョウの話をさえぎる。

「キョウちゃん。わたし、部室に行かないと」

 自分が苦しんでいることと、何も知らないアマネに迷惑をかけることはまったく別だ。

「バイクで送ってやるよ」
「キョウちゃん、免許なんて持ってた?」
「このまえ取ったんだ」

 マンションの入り口にキョウが大きなバイクを乗りつけた。渡されたヘルメットをかぶって、幼なじみの背中にしがみつく。

「な、気分いいだろ?」
「うん」

 肌を流れていく風の感触がデータだからといって、この感触が消えるわけではない。
 わたしの体が物質でも情報でも、わたしがここにいることは変わらない。

  

 アマネは約束の時間に三十分遅れてやってきた。

「ごめんね。昨日夜ふかししてて。で、なんで夜ふかししてたかっていうと、これ作ってたからなんだ」

 アマネは誇らしげに部室中央のテーブルに置かれたドローンを指差した。前の夏でアマネが使っていたものはもっと小さいものだった気がする。今回のドローンは一辺が五十センチはあるものだ。四つのプロペラがあり、中央部には大きなレンズが見える。

「ドローンカメラは他にもあったような」
「え? 映研のはこれ一台だよ。あたしの家には作りかけのがあるけど」
「あ、わたしの勘違いですね」

 どうやらアマネは覚醒していないようだ。
 カミナギはなぜか安堵する。
 覚醒しないならそのほうがいいとキョウは言っていた。必ずしもキョウに賛成するわけではないけれど、今はただ何も考えず、アマネと普通の高校生として話していたい。

  撮りたいものは特にないとカミナギが言うと、アマネは鬼ごっこをしようと言い出した。

「えっと、わたしはひたすら逃げればいいんですか? 階段を使ったり部屋に入ったりは」
「ドアを閉めるのだけナシで、あとは全部オッケー。逃げてもいいし、隠れてもいい。熱源センサーついてるから頑張って」

 カミナギはアマネの足元のドローンを振り返りながら、徐々に距離を取っていった。廊下が交差する地点で立ち止まる。

「そのへんでいいかな。カミナギちゃん、準備はいい?」
「いつでもいいですよ」

 その声が合図になっていたらしく、ドローンは初動でふわりと揺らめきながら浮かんだと思った瞬間、一直線にカミナギに向かって飛んできた。あっという間に近づいてくる。

「うそ!」

 そういえば小回りが利くとアマネから訊いていたんだった。小回りというのは曲がったり宙返りしたりするだけではなく、加速や減速も素早くできるということだ。
 カミナギは素早く廊下の角を曲がり、一番近い階段を一段とばしで駆け下りていく。引き離したかと思って、階段の踊り場で体を翻したときに上方を見ると、ドローンは機体を器用に傾けながら高速で降りてきていた。

「なんで! わたし! こんな」

 こんなことしてる場合じゃないのに。世界も自分も存在しないのにこんな、ドローンと鬼ごっこなんて。
 鬼ごっこなんて久しぶりだ。最後にしたのっていつだっけ。
 なんて考えている暇はない。
 ミズキにお願いすれば良かったという思考も全力疾走のさなかに散り散りになって、カミナギは走る機械と化して、一階の廊下を駆け抜けた。
 初めはただただ必死で、だんだんと鬼ごっこをしている感覚を思い出して、追いかけられる怖さと楽しさを感じられるようになってきた。自然と笑みが溢れてくる。
 すれ違う男子生徒たちがカミナギを眩しそうに見ていた。誰かに注目されるなんて、カミナギにとって初めての経験だった。
 これが現実逃避だということはわかっていた。現実からも映画からも逃げているだけだ。だけど、わたしに他に何ができる?
 ドローンから逃げ続けて、カミナギは校舎の屋上にたどりついた。開けっ放しのドアからドローンが入ってくる。
 カミナギは観念して、屋上に寝転んだ。
 空には雲ひとつなかった。
 息を整えていると、カミナギの顔のうえ一メートルのところにドローンが静止した
 今わたし、どんな顔をしているんだろう。きっとひどい顔してる。
 カミナギはカメラに向かって寂しげに微笑んだ。

「戻ろうか」

 ドローンに話しかけても返事はない。
 カミナギは体を起こして、階段を降りていった。ドローンは自動で後をついてくる。
 部室のドアは閉まり、中の電気は消えているようだった。アマネ先輩、理科室かな?
 ドアを開けると、暗い室内の中央に人の首が浮かんでいて、カミナギは悲鳴をあげてしまった。
 よく見ると、テーブルのうえのノートパソコンの明かりで、そのまえに座るアマネの顔が照らされているのだった。

「やあ」
「びっくりしましたよ。先輩、何を見てるんですか」
「うん……。なんだか気になっちゃって」

 彼女は黒縁メガネを押し上げながら涙をぬぐっていた。
 今日の彼女の髪色はブルーとグレーのグラデーションだ。

「いや、ははは、ごめんごめん。この現実拡張メガネって目が疲れるんだよね」

 アマネが見ているのは『世界の終わりの夏の一日』だった。さっきまでの彼女とは様子が違う。カミナギは心配になって、アマネの隣の椅子に座った。
 カミナギの予感は的中して、夜の海岸のシーンに入った瞬間、アマネの額に丸く輝く円盤が浮かび、すぐに消えてしまった。アマネはぼんやりとしたまま動かない。

「先輩、大丈夫ですか」
「え、うん。別に。……でも、カミナギちゃん、先に帰ってくれる?」
「先輩?」
「なんか……悲しくないのに涙が、あふれてくる」

 この感じ、間違いない。
 カミナギは覚悟を決めて、言葉にする。

「先輩も覚醒したんですね」

 アマネは今まで見せたことのない悲しげな表情のまま、黙ってカミナギを見つめていた。


著者:高島雄哉


次回3月16日(木)更新予定


← 第22回    第24回 →

〈作品ページ〉



©サンライズ・プロジェクトゼーガ
©サンライズ・プロジェクトゼーガADP


関連作品

カテゴリ