エンタングル:ガール 舞浜南高校映画研究部【第26回】

第6話「エントロピック・アシンメトリ」5

← 前作品ページ次→

前回のあらすじ
「じゃあもう映画作りはおしまいかな?」アマネの問いかけにカミナギは答えられない。映画を撮っても撮らなくても、もはや量子サーバーの外に人はいないのだ。情報の世界で、情報体の自分が映画を撮る意味はあるのか。答えを探すカミナギの前から、幼なじみは去ってしまう。戻ってくると言い残して―― ⇒ 第25回へ

 カミナギは事態をいくらか理解していたものの、記憶のすべてを思い出せるわけではなかった。
 生まれてからの記憶を事細かく覚えていないのと同様に、これまで過ごしたはずのループの記憶も――ループしていたことは確信しているのに――個々の事象はほとんど思い出せない。
 ループの回数もよくわからない。
 覚醒した夏はこれが初めてだからだろう。
 証拠らしい証拠はない。あるとすれば地下の液体と二本の映画と、それから覚醒しているという感覚だけだ。そしてそれでもう十分だった。
 ループしていること、外の世界が崩壊していること、この夏が永遠でないこと、全部本当のことなんだ。
 量子コンピュータは魔法の箱じゃないからねとアマネは言った。
 あっという間に期末テストが終わって、いつの間にか夏休みになっていた。
 前回のループでは毎日忙しかったのに、今はただ無為に過ごしている。たまにアマネと待ち合わせて、映画研究部の部室で情報交換をするくらいだ。

「魔法の箱も経年劣化する。エントロピーは増大し続けて、あたしたちの記憶も、記憶を閉じ込めている量子サーバーも、その構造を失ってしまう」

 アマネが理科室に戻ると、部室はまったく閑散としてしまう。彼女は時間のループ構造を調べるために、独自研究を始めていた。
 残されたカミナギは部室の窓から夕焼けを眺めながら、クラシゲの授業を思い出した。

「世界を記録すること、あるいは物語として記憶することは、人間の本能といってもいいだろうな」

 クラシゲ先生の生物の授業はいつも哲学的で、ほんの一部に根強いファンもいる。たしか記録ノートのとりかたについての話だった。

「ひとは世界をありのままに認識できない。情報量が圧倒的だからな。それゆえに理論や物語が必要となってくるわけだ」

 そのとき、途切れていた記憶が遠くで繋がり合ったかのように、あるいは飛躍していた論理のギャップが埋められていくように、カミナギは鮮明にカノウ・トオルのことを思い出した。

「カノウ、先輩?」

 カミナギは一人つぶやく。
 再び額に丸いアイコンが輝く。
 どうして今まで忘れていたんだろう。
 大切な先輩だったのに。大切な人なのに。

「思い出しました、カノウ先輩のこと」

 カミナギはもう存在しないカノウに語りかけた。
 あのときカノウ先輩はわたしに言った。――カミナギくん、きみは映画監督にはなれない。
 あのとき先輩は、絶対に、って付け足したんだっけ? あのときの腹立たしい気持ちも懐かしい。
 記憶はどこまでも曖昧だった。
 でも、もう、わたしが映画監督になれない理由はわかっている。
 もう世界は、わたしが知っている意味での人間社会は存在していなくて、それどころか地球に人間はひとりもいないのだ。

「夏で世界を覆うって、そういう意味だったんですね」

 カミナギの目から涙がこぼれおちた。
 カノウはこの世界を記録しながら、世界のほころびをいち早く発見しようとしていたのだ。たぶんそれはシズノが、エンタングルメントエントロピーと言っていたものだ。
 そして彼はカミナギにはそれとなく、というか露骨に、真相を告げていた。
 カノウ先輩はわたしに同志になってほしかったんじゃないだろうか。共に世界を守るために。
 もはや真相はわからない。
 そして今はどこか遠くで闘っているキョウちゃんに守られている。
 いつもわたしは何も知らないで。
 こんなのフェアじゃない。
 カミナギは立ち上がって部室を見回し、カレンダーを探した。
 良かった。今日は七月二十九日。高校映画コンテストの事前登録日まであと二日ある。
 自分が幻の体で、それでもなお、どうして映画を撮るのか。そんなことに意味があるのか。
 ずっと考えているけど、答えは出ない。でも――。
 アマネは覚醒した数日後、この量子サーバーが作る世界の時間構造はおかしいと言っていた。

「えっと、どういうところがですか?」
「この世界は映画みたいに新しい背景情報を順々に並べて、あたかも時間が流れているかのように見せかけてる」
「でも本当の時間構造は映画とは違うはず。時間はコマ送りじゃないし、流れているとは限らない?」
「さっすがカミナギちゃん。時間が流れているというのは、チホっぽく言うと、文学的な比喩表現だからね。現実は映画とは違うのに、この世界であたしたちは映画的な時間や空間を感じさせられている。これって当然といえば当然なんだよね。時間の構造はいまだ超弦理論やM理論で解明し切れていないんだから、本物の時間をシミュレーションできるはずがない。量子サーバーを作った人は天才だと思うけど、アインシュタインやウィッテンと同じ程度の天才でしかなかったみたい。あたしはこの世界を超えたいよ、カミナギちゃん」

 わたしは映画を作ろう。これまでのループでわたしが撮ってきたすべての映画を超えるような映画を。
 それでこの世界を守れるとか、時間の秘密がわかるとは思わないけれど、わたしのそばにはカメラがある。そう、わたしにはこのカメラがあるんだ。わたしは映画を撮ることができる。
 カミナギは映研の部室を出て、廊下を全速力で走った。息切れしながら視聴覚室でヘッドマウントディスプレイをかぶり、VR空間内の高校映画コンテスト開会式に没入する。
 参加登録の情報を打ち込むと、AIの少女が現れた。細部は微妙に異なるが、前回と同じ子だ。

「やあ、こんにちは。アタクシはルーパ。今日からあなたのサポートをするヨ。参加登録は正常に行われたんだナ。舞浜南高校映画研究部、カミナギ・リョーコ監督さん。作品名はまだ未定」
「今回もよろしくね」

 ルーパは不思議そうにカミナギに問い返す。

「ん? 会うのはこれが初めてなんだナ」
「あ、そうだよね。うん、わかってる。よろしく」

 数年前――といってもカミナギが認識している数年前のことだが――世界で初めてAIだけが作った映画が公開された。それはAI研究者が趣味で集めていた様々な映像データを切り貼りしたもので、ストーリーはほとんどないような作品だった。
 それから間もなくしてAIによる映画は一般的になった。AIが作るゲームや小説も珍しくない。

「もしかしてわたしはAIのために映画を作ってる?」

 それならそれも悪くない。人のための映画をAIが作るなら、AIのための映画を人が作ってもいい。
 ルーパや他のAIたちはわたしの映画を楽しんでくれるだろうか。楽しんでくれるといいんだけど。
 わたしは映画を撮る。いま、ここで、この夏で。わたしのために。そしてできることならすべてのみんなのために。
 カノウ先輩、わたし、この夏も映画をちゃんと完成させてみせますから。


著者:高島雄哉


次回4月6日(木)更新予定


← 第25回    第27回 →

〈作品ページ〉



©サンライズ・プロジェクトゼーガ
©サンライズ・プロジェクトゼーガADP


関連作品

カテゴリ