エンタングル:ガール 舞浜南高校映画研究部【第30回】
最終話「からまる夏のカミナギ・リョーコ」4
前回のあらすじ
「あなたの映画がこの量子世界の均衡を保っているのかもしれない」映画が完成したのは八月三十一日の朝だった。カノウ部長もチホ先輩もキョウちゃんもいない。わたしの、みんなの、すべての夏をこの一本の映画に――舞浜南高校映画研究部とカミナギ・リョーコの夏がいま終わる。 ⇒ 第29回へ
あと数分で八月三十一日が――今回のループが終わる。
VR空間にはカミナギたちの新しい映画が浮かんでいた。これはこの夏、わたしが諦めていれば存在しなかったものだ。
映画コンテストのVR空間に入るとすぐにルーパが現れた。
「映画はそれかナ?」
「うん、お願い」
「手続きを開始、ちょっと待ってて。――はい、受け付け完了。あと五分と七秒だったヨ。ギリギリだったんだナ」
「間に合って良かった。ねえルーパ、応募作品ってどうなるの」
「応募された作品は審査されて、それからすべてアーカイヴに保存されるヨ」
ルーパの言葉の真偽を確かめる方法はわたしにはない。今はその約束だけで満足しよう。閉ざされた時間と空間の先の誰かがわたしたちの映画を見てくれると信じるしかない。
「それではアタクシは審査の準備を始めまス。また会いましょう」
カミナギはヘッドマウントディスプレイを片付けて視聴覚室を出た。
人感センサーで廊下の照明が点灯していく。カミナギは誰もいない夜の舞浜南高校をひとり歩く。
いつだったか――カミナギにとって一体いつの出来事なのかは本当に根源的な問題なのだけれど――キョウかアマネか、あるいはクラシゲが、情報はエネルギーなのだと語っていた。
ぬるま湯のなかには、様々なエネルギーを持った水分子が存在している。もしも高エネルギーの水分子だけを取り出せたなら、それは――情報を得ながら――エネルギーを取り出したことになる。
今だったらなんでもわかるとカミナギは感じていた。森羅万象は物質の連続体であり、エネルギーのかたまりであり、情報のもつれあいなのだ。
量子サーバーのなかにも確かに世界はあって、みんなの喜びも悲しみも触れられるほどに存在する。
――二十三時五十八分十一秒
「キョウちゃん」
カミナギはどこかで戦っているはずのキョウに呼びかける。
ああ、そうか。とカミナギは思う。
からまったり、はなれたり、それでもキョウちゃんとわたしは、わたしとみんなは繋がり合っている。それは感じることじゃない。数学的な事実なのだ。
――二十三時五十九分二十二秒
今回のループのわたしの何が残って何が失われてしまうのか。すべてが失われてしまうのかもしれない。わたしたちが作った映画だけは残ると思うのは楽観的すぎるだろうか。
――二十三時五十九分五十一秒
もしこの世界がもっともっと狭かったとしても、それでもわたしは映画を作ろうとする。キョウちゃんは泳ごうとする。
――二十三時五十九分五十八秒
わたしがほんの少しの情報だったとしても、体も心もなくても、世界に触れようとする。
世界とわたしは分かちがたく、からまりあっているからだ。
その事実はリセットされることはない。
わたしが計算される情報であっても、そうであるからこそ、わたしは世界とからまりあっている。
わたしたちが出会ったことを誰かが覚えている必要もない。
――二十三時五十九分五十八秒
部室の壁が光の粒子となって砕け散っていく。
空間と時間が遠ざかる。わたしがわたしから離れていく。
――二十四時
砕け散る光の中で、カミナギはシズノから受け取った手紙を開いた。
キョウちゃんから手紙なんて初めてかもしれない。
――カミナギ。このまえ言えなかったことを書いておく。言っとくけどこれ遺言じゃねえからな! で、俺は毎回お前の映画に出てるって言ったけどさ、それってお前がいつも映画を撮ってるってことなんだ。あれ、これも言ったか? とにかく俺が見てきたすべてのループでお前は色々な苦労をしながら、いつも映画を完成させてるんだ。俺には映画のことはわかんねえけど、それってすげえことだと思う。お前はすげえよ、カミナギ。じゃあな。また映画手伝うからさ、次の夏で待っててくれ。
今わたしは人間なのか情報なのか。この意識は自分のものなのか、量子サーバーに計算されたものなのか。
世界とわたしを構成するすべてのからみあいがほどけていく。
と同時に、わたしたちが作った映画が量子世界の結び目となって世界を再構築していく。
世界はエンタングルメントそのものなんだ。
この感覚をわたしはいつも忘れている。
もしも、自分と世界との区別のなくなったこの感覚を――この夏を――カメラで撮ることができたなら、きっと素敵な映画になる。
わたしのなかで、映画が生まれ、時間や空間が生まれ、世界が生まれている。
また夏が来て、またわたしはカメラを回し、みんなと映画を作る。すべての夏のすべての映画のために。
いつかすべてが結ばれるその瞬間まで。
〔了〕
著者:高島雄哉
©サンライズ・プロジェクトゼーガ
©サンライズ・プロジェクトゼーガADP